【レビュー】『10 クローバーフィールド・レーン』―『クローバーフィールド/HAKAISHA』とは対照的なシチュエーション・スリラー

 

(C)2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

2008年に公開された映画『クローバーフィールド/HAKAISHA』は、平和なニューヨークを襲った「何か」、そしてこの「何か」から逃げるニューヨーカーの姿をモキュメンタリー(偽ドキュメンタリー)で描き、驚異的な成功を収めた。上映終了後には謎めいたカウントダウンがオフィシャルサイトで開始され、続編の製作があるのではないか?と噂されていた同作だが、そのタイトルの一部を冠した映画『10 クローバーフィールド・レーン』が、今年3月に本国アメリカで封切られ、6月17日より日本でも公開となった。

前作の系譜を受け継ぐ作品ならば映画会社の小さなスクリーンではなく、大きなIMAXシアターで鑑賞したい!と思った筆者は一般公開まで待ってみたのだが、蓋を開けてみれば、待つ必要は全くなかった。最初に断っておこう。本作を『クローバーフィールド/HAKAISHA』と同じような、IMAXで見るべきディザスター映画と考えるのは間違いである。なぜなら本作は、大半の時間が限定された空間における駆け引きに費やされる、シチュエーションスリラーだからだ。

10クローバーフィールド・レーン

(C)2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

物語の舞台は、アメリカ某所。恋人に別れを告げた主人公のミシェル(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は、どこかに向かって車を走らせていた。しかし、彼女は衝突事故に遭遇し、意識を失ってしまう。その後、ミシェルが目を覚ましたのは、ハワード(ジョン・グッドマン)と名乗る大柄な男のバンカー(地下に設けられた部屋)だった。近くに佇んでいたエメット(ジョン・ギャラガー・Jr)という男から、外が何らかの兵器によって汚染されたという話を聞いたミシェルは、その事実を確かめるためにハワードの家から出ようとするのだが、ハワードは頑なに許してくれず…。

前作を鑑賞した人、そして本作の予告編を見た人なら速やかに気づくことだが、本作は『クローバーフィールド/HAKAISHA』と、明確に異なるストーリーテリングを採用している。というのも、『クローバーフィールド/HAKAISHA』が1台の手持ちカメラによって映し出されるモキュメンタリー形式を採用していた一方、本作は一般的な映画作品と同様に第三者の視点でストーリーを語るのだ。また、『クローバーフィールド/HAKAISHA』のほぼ全編が常に移動を伴っていた一方、本作ではハワードの家という特定の閉鎖的な空間における、3人の駆け引きを映し出すことに主眼が置かれている。

もう一つ、『クローバーフィールド/HAKAISHA』との対照的なポイントとして、主体的に男性から逃れようと試みる女性主人公の存在が挙げられる。『クローバーフィールド/HAKAISHA』では、愛する女性を救うために危険を顧みずに行動する青年の姿が描かれたが、本作ではハワードという得体の知れない男から逃げようとするミシェルの姿が描かれるのだ。大抵の場合、ミシェルのように不透明かつ身の危険を感じる状況に追い込まれた女性は、泣き叫んで命乞いをするか、男に対して媚びを売って助かろうとするものだが、ミシェルは違う。彼女は自身が置かれたシチュエーションを把握すると、めそめそ泣いたい愚痴を漏らすのではなく、それを打開しようと積極的にトライしていく。

既存の女性キャラクターとは異なり、強い意志を持って行動するミシェルは、観客が応援したくなる主人公として魅力的だ。そんなミシェルを悩ませるのが、名優ジョン・グッドマン演じるハワードだ。ハワードは、外で起こった何かしらの出来事がこの世を破滅させたと考えており、自分がその破滅に対して入念に準備していたこと、世界的な危機に対応できていることに強い満足感を抱いている。実際、アメリカの田舎には、彼のような男が大勢いるものだ。キリスト教的な価値観に基づき、世界の終わり、つまり黙示録に備えている人々である。

劇中では、このハワードを中心に全ての事が運ぶ。ミシェルやエメットは一定の自由を与えられてはいるが、彼の許可なしに好き勝手することはできない。ところが、ミシェルとエメットはハワードが抱える「恐ろしい秘密」を、思いもよらぬ形で見つけたことによって、本格的に脱出することを目指すようになる。ここでも、ミシェルは主体的に行動し続けるのだが、自分のミスによって脱出計画は頓挫してしまう。その背後にある、ハワードという男の注意深さ、そして彼が内に秘めた狂気は、我々が非現実的な「何か」に恐怖を感じた『クローバーフィールド/HAKAISHA』とは対照的に、極めて現実的で生々しい「人間の恐ろしさ」を感じさせる。

この脱出の失敗に至るまでの展開は、実にスリリングで面白い。しかし問題なのは、これ以降の展開である。というのも、物語の方向性が、ミシェルにとって不都合が連続していたシチュエーション・スリラーから、ミシェルにとって都合のよい展開の連続を見せるディザスター・ムービーへと変化してしまうのだ。この大胆な(というか無謀な)転換に伴い、それまで順調に積み上げられていたスリルや恐怖は、跡形もなく吹き飛ばされている。クライマックスで登場する「何か」(『クローバーフィールド/HAKAISHA』のそれとは異なる形態なのだが、特筆すべきことはない)についても、ミシェルとの決着に思わず膝を打ちたくなるような捻りはなく、その決着は非常に淡白なものなので、終局にかけて余計な消化不良感が生まれているのは否定できない。

(C)2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

(C)2016 PARAMOUNT PICTURES. ALL RIGHTS RESERVED.

端的に言えば、物語はバンカーというシチュエーションで完遂されるべきだったのだ。これによって、描かれる恐怖はハワードという男に凝縮され、厚みのある感情表現を見せるグッドマンの演技も、さらに力強いものとなったはずだ。では、ミシェルが戦うこととなる「何か」はどうすべきか。これについては、マクガフィン(物語において重要そうに見えるが、実はそうではないもの)として扱うことで解決する。というのも、本作でこの「何か」が何なのかは終ぞ説明されることがない。正直言って、ビジュアルもさして魅力的ではないので、寧ろその姿を明かさずに、象徴的な恐怖として物語に関与させる方が、よほど効果的に機能したはずだ。

ニューヨークに襲来した「何か」がもたらす破壊と恐怖を、不要な小細工を用いずに一貫して描いた『クローバーフィールド/HAKAISHA』は、ブレのなさとシンプルさによって効果的に恐怖を生み続けた。しかし、対照的な手法を採っていながらも、最終的に『クローバーフィールド/HAKAISHA』との世界観を共有するため(そうとしか思えない)、「何か」を短絡的な形で介入させた本作は、スリルと恐怖の埋没を招いてしまった。

本作が続編なのか否か、これは全く問題ではない。観客が見つめるべきなのは、終局にかけての杜撰としか言いようのないストーリーテリングなのである。

(文:岸豊)


映画『10 クローバーフィールド・レーン』
公開中

製作:J.J.エイブラムス
監督:ダン・トラクテンバーグ(長編映画初監督作品)
出演:メアリー・エリザベス・ウィンステッド、ジョン・グッドマン、ジョン・ギャラガー Jr.

この記事を読んだ人におすすめの作品

アーティスト情報

関連サイト

TSUTAYAランキング

おすすめ映画ガイド

TSUTAYA MUSIC PLAYLIST