『聖の青春』松山ケンイチ インタビュー「感覚のモノサシが変わり続けること。それが青春」

村山聖役の松山ケンイチ

村山聖役の松山ケンイチ

あの羽生善治と互角に渡り合い、好敵手として君臨しながら夭逝した棋士、村山聖。彼の生き方を、周囲の人々との関わり合いを通して浮かび上がらせる映画『聖の青春』。驚くべき増量をして実際の村山の姿に近づき、彼の精神を体現した松山ケンイチは、本作の企画を知り、「演じたい」と自ら手を挙げたという。

「まず、僕は将棋が好きなんです。でも、あまりそういう(棋士を描いた)作品はこれまでなかったので、興味を持ちました。あと、村山さんが自分にとってはすごく魅力的に思えたのが一番の理由です。人として綺麗だったから。小説(大崎善生「聖の青春」)を読んでいたときも、村山さんを感じると、自分の汚れみたいなものが洗い流されるような感じがしたんですよね。それがすごいなと。彼はネフローゼという病気で小さい頃から入退院繰り返していて、保育園、小学校、中学、高校の青春……普通の人が一般的に通ってくることをしてない人でした。しかも大人になってからは勝負事の世界で生きていく。だから(そこは)まったく自分とかけ離れているなと感じました。子供の頃の青春とか、大人になってからの青春、全部ひっくるめて、全人生で青春を謳歌した。すべてにおいて純粋で汚れなかった。そういう人に、僕がどれだけ近づいていけるんだろう、表現できるんだろうと。自分の限界みたいなものを突破したいなというのと、全身全霊をかけても足りないような役に挑戦してみたいという気持ちで、アプローチしていったんです」

(C)2016「聖の青春」製作委員会

(C)2016「聖の青春」製作委員会

「村山さんを感じる」。この一言に、松山の村山に対するリスペクトが感じられる。そしてこの映画は、村山聖という人間を「感じる」作品になっている。彼の人生を追跡するのではなく、このひとの人間性が「感じられる」のだ。

「劇中で、村山さんと羽生さんは『見ている海はみんなと違う』と言っています。村山さんはどんな景色を見ているんだろう? と僕は思ったんですよね。それを感じたかった。でもそれって、人と人との会話の中にはなくて、盤面の奥深くのところにあるのかなって。ただ、対局のシーンの撮影では、盤面上以外のことは何も考えていませんでした。勝負事の人たちって、一回の勝負に人生を賭けるわけですよね。だから、自分の欲求だとか、その後の人生だとか過去だとか、自分のいまの状況だとか、勝負中には何にも考えてないと思うんです。全部を削ぎ落として、全部の神経とか思考を勝負に賭けているわけで。(普通のひとは)みんな、いろんなパワーを分散させて、一日が成り立っているけれど、彼らはそうじゃない。そういうことを体験したかったんです。最後の対局(のシーンの撮影)では、持ち時間1時間ずつ、2時間で実際に(将棋を)やったんですが、そのときは、『ああ、この感覚か』、となんとなく掴めた気はしましたね」

(C)2016「聖の青春」製作委員会

(C)2016「聖の青春」製作委員会

松山が表現した村山はチャーミングだ。悲劇性がいささかも強調されていなく、そこが素敵だ。余命を知りながら、ひたむきに将棋の世界に邁進した村山。松山のまなざしは、清々しさを残すほど澄み切っている。

「村山さんは『将棋の鬼』みたいな人ではないじゃないですか。もちろん、将棋にかけている時間はものすごいですけど、(持病のための)薬飲むのも忘れて本気で酒を飲むし、本気で麻雀もするし。命を縮めることになりそうなのに、なんでこんなに酒を飲むんだろう? って思ったんですよ。麻雀の誘いがあったら断らなかったらしいですからね、でも、それを観てくれたお客さんが、それぞれ考えてくれたら面白いなあと思うんですよね。長生きすることだけが人生じゃないっていうか。生きるっていうことは、お金よりも友情とか社会のルールとかよりも、もっともっと崇高なもの、大事なものなんだということを、村山さんの生き方を見ると考えさせられるなと思いましたね」

(C)2016「聖の青春」製作委員会

(C)2016「聖の青春」製作委員会

羽生を演じる東出昌大も素晴らしい。ふたりが実際に言葉を交わすシーンはひとつだけ。それ以外は、すべて対局でしか向き合わない。だが、ふたりだけが知っている「海」が、松山と東出の芝居からは感じられるのである。

「東出君の素晴らしいところは、将棋に対する愛があるってことなんです。将棋、大好きなんですよね。そうでなければ(この役は)できないんです。本当にそこは(自分としても)助かりました。やっぱり(将棋)好きな者同士がやっている。(そうでなかったら)全然違うと思うんです」

本当に、好きな人同士がやっているからこそ、生まれるものがある。

「そうですね。(ふたりとも)好きなんですよね……。撮影中、好きに勝るものはないな、と思っていましたね。好きな気持ちがあれば、どこまでもいけるなって」

村山対羽生。その最後の対局の棋譜を覚えて臨んだ。松山と東出だから、できたことだ。

(C)2016「聖の青春」製作委員会

(C)2016「聖の青春」製作委員会

ところで、松山はなぜ将棋が好きなのだろう。

「受け口が広いですよね。だって、子供がおじいさんに勝てるんですよ。僕も子供にボコボコにされましたし(笑)。それで、本気で子供に対して悔しがることができる。肩書きとか盤面上では関係ないのが魅力ですね。あと、同じ相手と何回やっても(結果が)100パー(同じ)ということがないですからね。やっぱり、何回か負けて、何回か勝つから面白いんですね」

映画には、こんなセリフがある。「神様がすることは、僕にはわからないことばかりだ」。

「神様って、誰のことだろう? 何のことだろう? と考えたときに、もしかしたら、ネフローゼという病が神様で、生かすも殺すも病がすべて自分のコンディションを作っているのかなと思ったんです。そして、村山さんが(病と)敵対するんじゃなくて、神聖なものとして扱っているような感じがしたんですよね。なので、(どうなるかは)神様が決めることだから大胆に酒も飲んだりしていたんじゃないかなと。すごく苦しいときはもちろんあるし、体調崩すときももちろんある。でも、そんなふうにして、なんとか病気と付き合っていたのかなあって。だから、病気に対して、ネガティヴな気持ちでは表現してないですね」

村山聖が、そして、松山ケンイチがチャーミングな理由がよくわかる言葉である。

(C)2016「聖の青春」製作委員会

(C)2016「聖の青春」製作委員会

さて、松山にとって、青春とは「いつ」を指すのだろう。

「いまもやってますよ、青春。いまも青春だなあと思います。子供から大人になると――いまは30代だから、まだこの先、長いんですけど――これがカッコいいとか、これが面白いとか、そういう感覚のモノサシってどんどん変わっていくじゃないですか。それが変わっていく限り、青春のような気がするんですよね。そもそも落ち着くつもりもないし。常に、自分にとって新しい感覚を探している。見つけようとする。それが自分にとっての青春だと思います」

そして、彼はつぶやいた。

「原作を読んでハッとされられたのは、村山さんが亡くなった29歳という歳に読んだからだと思います。(自分自身、村山を演じるのは)いましかできない、と思った。何年も前から家の本棚に眠っていたんですが、手に取ったのも『29歳』というワードが目に付いたから。そのときだからこそ読めたんでしょうね。」

村山聖、享年、29歳。松山ケンイチ、現在、31歳。いまを生きる者同士の交歓。それが『聖の青春』という映画だ。

松山ケンイチ

(取材・文:相田冬二)


映画『聖の青春』
11月19日(土)丸の内ピカデリー・新宿ピカデリー他全国公開

監督:森義隆『宇宙兄弟』『ひゃくはち
脚本:向井康介『クローズEXPLODE』『陽だまりの彼女
出演:松山ケンイチ、東出昌大、染谷将太、安田顕、柄本時生、北見敏之、筒井道隆/竹下景子/リリー・フランキー
原作:大崎善生(角川文庫/講談社文庫)
配給:KADOKAWA

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アーティスト情報

大崎善生

生年月日1957年12月11日(60歳)
星座いて座
出生地北海道札幌市

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