映画『光』永瀬正敏&河瀨直美監督インタビュー「映画に裏切られたことは、まだ一度もない」

先日開催されたカンヌ国際映画祭でも拍手喝采を受けた河瀨直美監督、主演の永瀬正敏

先日開催されたカンヌ国際映画祭でも拍手喝采を受けた河瀨直美監督、主演の永瀬正敏

目の見えないひとが映画を観る手助けをする「音声ガイド」という仕事。登場人物の動きやシーンの情景をいかに言葉で伝えるか。語りすぎてもいけないし、語らなすぎてもいけない。説明過多も、説明不足も、映画体験の妨げになるからだ。その仕事をしている若い女性が、モニターのひとりとして、弱視のカメラマンと出逢う。ときに辛辣に、彼女のガイドを批評する彼。ふたりはギクシャクしながらも、徐々に近づく。だが、カメラマンの視力はどんどん風前の灯火となっていく。

『あん』に続き、河瀨直美監督と永瀬正敏のタッグで贈る『光』。表現の原点を再考すると共に、ひととひととのコミュニケーションと結びつきのリアルに想いを馳せる。そんなエネルギーに満ちた映画である。

(C)2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

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永瀬:河瀨さんの作品は2回目なんですけど、(俳優として)原点に戻るというか、ゼロに戻るんですよ。初心に戻る。ひとを演じるってどういうこと? というところから始まる。(俳優を)長いことやってると、お芝居の垢みたいなものが、自分はついてないつもりでも、つい、ついてしまっている。そうじゃない。演じるということは、「生きる」ってことだから。ある時期を「生きる」ということ。じゃ、「生きる」ってどういうこと? それをやらせていただける、とっても幸せな現場なんですよね。そういう気持ちにさせていただける河瀨組が僕は大好きです。

垢がつく。永瀬はそんなふうに己の表現を戒める。

永瀬:どうしても、そういうのがついちゃうときがあるんですよ。こうすれば「っぽく」見えるっていうか。より感情が伝わるんじゃないかと思ってしまう。それがテクニックとしてあったりもするんですけど。でも、それを(河瀨組で)やると、思いっきりバレるんですね。いまの、「~風」だよね? と。それじゃ、本当はいけないんだと思うんですよ、僕らの仕事は。やっぱり、役で「生きている」ところを切り取っていただかないと。(映画を)観たひとに役を伝えるということは、そうじゃないといけない。いかに緊迫感があるようにやるかとか。カッコつけて見栄を切るとか。つい、そんなことをしてしまいがちで。はたして、それはいいことかなと。やってないつもりでも、ついついやってたりする。(監督に指摘されると)そっすね……ということに(笑)。

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河瀨:映画は、自分が文章を書くということだけじゃなく、演じてもらうことでもあるから。「この人々」をかたちとして表現するメディア。それをまたどこから撮るのか。それもあるし。(身体)全体で表現してもらってても、局部しか撮ってないときもあるし。そういうことの連続の中で、どれをどういうふうに組み合わせるか。音のデザインもあるし。見えてるところだけの表現じゃなくて、見えてないところの表現というのも組み合わさって、三次元になる。平面とスクリーンを超えて、私たちが暮らすこの三次元に滲み出ていくようなことをやりたいと思ってます。今回は本当の視覚障碍者の方にモニターとして参加してもらったりして、ある種のリアリティ、本当のドキュメンタリーの部分もある。みんなで「共犯者」になるような作業の中で、三次元に「行けた」瞬間が何回かあったんじゃないかな。映画という平面のメディアを超えていくようなものになれていたらいいなと思ってますね。

永瀬:(撮影に)入る前に、何人かそういう方々にお逢いする機会をいただいたんです。ご自宅や仕事場で、お話させていただいた。すると、綺麗事じゃすまないということがわかるんです。ただ単に「可哀想でしょ」(という演技)のほうが簡単なんですけど、そうじゃない部分もあって生きていらっしゃるわけで。そこのリアリティをどう出すか。あとは、いままでの夢を諦めざるをえないとか、いろいろな葛藤がある。ものすごくキツい時期があるわけですよ。(永瀬が演じる中森雅哉と)まったく同じ体験をなさってる方がいて。希望と絶望が常に混在しているそうで。そこに嘘つくことだけはやめようと思ってました。とはいえ、僕は(目が)見える。(見えるものを)見えなくすることはできないから、極力気持ちに寄り添えるようにしたい。それだけですね。(雅哉が)こういうアイデンティティだから、こういうふうに映りたいという想いはなかったですね。雅哉として、あのマンションにどう住んでいるか。どう(音声ガイドをしている尾崎)美佐子と逢うか。どう社会と関わっていくか。それだけだった気がしますね。

(C)2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

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絶望と希望が混在する「時期」に寄り添うこと。それは途方もない苦難でもあった。

永瀬:あるシーンで、(役として)僕はボロボロの状態になったんです。監督の高そうなダウンジャケットに、鼻水をつけてしまって、本当に申し訳なかった。でも、そのとき、監督がおっしゃったんです。「これからよ。雅哉の人生、これから光に向かっていくのよ」と。絶望で立ち直れなかった。でも、そこに天の声みたいな優しい声が。鼻水でベロベロになった男の許に。いつか、あのダウンジャケット、買って返さなきゃと思ってるんですけど(笑)。もし僕が目が見えなくなったら、(この世界から)いなくなってしまうかもしれない。でも、そのひとたちは、その過程を経ても、生きている。もしかしたら(自分が)やりたかったこととちょっと違うことをやってらっしゃるかもしれないけど、その「光」にまた向かっている。そこからの人生が長いんだと。ハッとさせられましたね。でも、鼻水はすみませんでした……。

河瀨:いえいえ(笑)。

監督は、俳優を見守る存在である。ときに神のように。ときに天使のように。

河瀨:ときに悪魔だったり(笑)。自分もモニターを見ながら、もう雅哉なのか、永瀬君なのか、わからないんだけど、とにかくそこでひとが、本当の人生の瞬間を迎えていて、崩れ落ちている。人知れず、そういうことが起こっている。だって、そこがそのひとにとって特別な瞬間だったとしても、時間は過ぎていくし、みんな普通に生活している。でも私はいま、そこに遭遇している。それはやっぱり心が揺さぶられるんです。それはもしかしたら、観客の目かもしれない。ただ、ここにいる私という人間が監督という立場を捨てては客観は得られない。でも、モニターの前で私は震えているし、思わずこみ上げるものはある。カットがかかって、崩れ落ちてるそのひとの傍に行くときは、それが誰なのかわからないけれども、とにかく寄り添っている。でも、寄り添いすぎるとお互いにぐちゃぐちゃになってしまうので、そこの立場をわきまえないといけないんです。

(C)2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

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崩れ落ちそうな人間の尊厳が、この映画には映ってる。それでも生きている、と言えばいいだろうか。だから、悲劇の只中にいる人物が、決して可哀想には映らないのである。

河瀨:取材をして、そういう経験をした方の言葉に逆に私は勇気づけられたことがたくさんあって。その苦しみを私は実感できないけれども、だけど、「そのとき」を乗り越えた後のそのひとたちの言葉は、すごく勇気になるんですね。そのひとたちだからこそ見えてる「光」も感じたから。そこを映画として具現化して成立させないといけないなと。「弱者」というカテゴリーの中に入れられている人々ではなく。むしろ、そういう立場の人たちのほうが映画を確かな世界として観ていたり、私たちが生きているこの世界のことももっと深い感覚の中で感じていたりすることもあるんです。

永瀬は写真家としても活動している。だから、カメラマンが視覚を失うことの痛みは生理的に認識しているはずだ。

永瀬:今回、監督が選ばれたムービーのカメラマンさん(百々新)はもともと写真家の方なんです。雅哉の家のあるシーンで、オレが怖くてたまらなかったんですね。「怖いな……」という話をしたら、こっそり、そのひとが「怖い……」って同調して。もうひとりの雅哉がそこにいたんですよ。同じカメラマンとして恐怖だったり希望だったりを、言葉にしなくてもわかってらっしゃる方がいる。それは心強かったですね。雅哉として。「はい、泣いて」「はい、怖がって」ということではない。雅哉がこう動いたから、こう撮る。僕、ほとんどプレビュー(モニターで撮ったばかりの映像を再生すること)を見ない役者なんです。フィルムで育ってるんで。そこは監督とカメラマンさんの信頼関係だと思うんで。でも、あるとき、一箇所、見なきゃいけないときがあって。一瞬見たんだけど、それが僕の想像を超えるカットだった。足(だけ)……? みたいな(笑)。でも足だけで表現できるんですね。(足も)表情だし、それだけで通じる何かがあるんだなと。言葉にしなくとも。言葉にしなくてもいいことがたくさんあるんだなと。また、言葉にしなきゃいけない言葉もあるんだろうなって。

(C)2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE

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欠落はときに、自分に備わっているものを教えてくれる。つまり「ない」ということを通して「ある」ということを知る。それは、表現において欠かせない感覚かもしれない。そこで訊いてみた。ふたりは、自分に「ある」何を頼りに表現をしているのだろうか。

永瀬:難しいですね……哲学的な質問だ。僕は、信じているからですね。映画というものを。何十年やっても厄介だなと思うことはあるけど、裏切られたと思ったことは一度もない。自分が出る、出ない関係なしに。映画を信じるということがあるから、演じていられる。だから映画に関わっていられると思う。あとはお客さんですね。お客さんを信じている。このふたつがないと、映画というものは成り立たない。だから、余計な嘘はお客さんにバレてしまうし、失礼だと思う。そこはいつも真摯にいたいと思いますけど。やっぱり、信じるっていうことですね。毎回、自分はまだまだだなと思うけど、映画に裏切られたことはないんです。

河瀨:私という人間は完璧ではないと思っているから、何かを作ることを続けているんじゃないかな。完璧だと思って、そこに満足していると、何かをコントロールするだけで、自分からわからないものに向かっていって、それをかたちにしたいと思うこともないだろうし。わからない世界がまだまだある。それを知りたい。ハングリーであること。だから(映画を)作っているのだと思います。

永瀬:そうかもしれないですね。

河瀨:私たちに「まだ見えていない」ことに真実があるかもしれない。映画を作り続けることで、そういうことに「近づける」かもしれないと思っています。

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(取材・文:相田冬二)


映画『光』
公開中

監督・脚本:河瀨直美
永瀬正敏 水崎綾女 神野三鈴 小市慢太郎 早織 大塚千弘/大⻄信満 堀内正美 白川和子/藤⻯也
配給:キノフィルムズ/木下グループ

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アーティスト情報

永瀬正敏

生年月日1966年7月15日(52歳)
星座かに座
出生地宮崎県

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藤竜也

生年月日1941年8月27日(76歳)
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