ラノベ三大奇書の1冊? 少女の悲痛な物語『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』【TSUTAYAの名物企画人“仕掛け番長”のススメ】

│まるで初めて出会い印象最悪だったその人が愛おしくなるまでの疑似体験をさせられているかのような気分になる。誰かをきっと好きになれる物語

この作品は冒頭の1ページ目に結末がありのまま書かれている。
ここに書かれたそれは、叙述的な何かがあるというわけではない。本当に真実の結末だ。

この『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』という作品は、最初の1ページで記されたあまりに痛々しい結末が何故起きたのかを時をさかのぼり読ませる。
海野藻屑と山田なぎさ、二人の出会いからその別れまでを書いた物語だ。

とある田舎の中学校に転校してきた美少女「海野藻屑」

「ぼくはですね、人魚なんです」彼女の自己紹介は誰もが目を丸くする突拍子もないものだった。一人称は「ぼく」。自分は人魚だと話すその不思議な彼女はこの物語の語り部「山田なぎさ」にこう言い放った。
「死んじゃえ」
彼女の父親はそんな田舎出身の有名なミュージシャン「海野雅愛」。彼作の『人魚の骨』は今でも時々CMで使われているくらいの大ヒット曲だった。

この物語には非常に多くの伏線が張られている。
そういうと伏線は最初の1ページに書かれていた悲惨な事件に関して張られているものだと未読の方は思うだろう。
この作品の丁寧に繊細に張られた伏線は登場人物の「気持ち」やそこに至るまでの「日常」に関してのものであり、もちろんそこには事件につながるものもある。
しかしそれもあくまで感情や内面に関してのものであり、他の小説のようにトリックや外面のものではない。
人間の行動の心理的な「何故」に対してのものなのだ。

最初の自己紹介のシーンだけでも「なぜ藻屑は自分を人魚と話すのか」「彼女の“死んじゃえ”という言葉の意味とは?」そして、なぜこの言葉が「彼女にとってその意味の言葉となっているのか?」。また、彼女の父親である海野雅愛による『人魚の骨』という歌の歌詞は1,2番の美しい歌詞に対してなぜ3番だけ快楽バラバラ殺人のような内容なのか…。

この作品を紹介する上で避けては通れないセリフがある。
「好きって絶望だよね」
この言葉に込められている感情は本当の意味ではもちろん藻屑にしかわからない。
しかし物語から読み取れるそれはあまりにも……残酷だ。

甘い空気さえ感じる日常と同時に起きている目を背けたくなるような日常。
その二つの交差が他の作品にはない独特の世界観と強いメッセージ性を生み出している。

『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』は発売当時ライトノベルレーベルから発売されていた。
それゆえに、当時可愛い二人の少女のイラストが描かれた表紙を店頭で見てこの作品を購入した読者の驚きは相当なものだったと思う。
桜庭一樹先生はこの後『私の男』で直木賞を受賞するのだが感情を揺さぶるその才能は『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』ですでに遺憾なく発揮されていた。

まだこの作品を読んでいないという方はぜひ一度手に取ってみて欲しい。
このタイトルがなぜ異常なほど長く語られ愛され続けているかを、読めばあなたにもきっとわかってもらえると思うから。
この作品ほど「とにかく読めばわかる」という言葉が合うものは無いだろう。

(文:仕掛け番長)

│仕掛け番長のおすすめ本

 

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない

発売中

著者:桜庭一樹
出版社:KADOKAWA

“仕掛け番長”栗俣力也

【コンシェルジュ】仕掛け番長

栗俣力也(くりまた・りきや)。TSUTAYA IPプロデュースユニット 企画プロデューサー。
TSUTAYA文庫、コミック、アニメグッズの企画を担当。10年以上のキャリア持つ書店員でリアル店舗からヒット作を次々と生み出す事から仕掛け番長と呼ばれる。人生のバイブルは『鮫島、最後の十五日』

Twitter(@maron_rikiya)

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