子供から見た親、そして親にとっての子供という存在の大切さ『生還 村田椰融短編集』【TSUTAYAの名物企画人“仕掛け番長”のススメ】 Tweet │『妻、小学生になる』にもつながるテーマであり村田先生が作品を通して伝えたい想いがとても込められた作品集 『妻、小学生になる』の村田揶融先生の短編集である『生還』が発売された。この短編集には不思議な体験をとおして母と子の関係性を見つめ直す「わたしはおにのこ」、生きる事とは何かを読者に問いかけるような「1001回目の命日」という2つの物語が納められている。 この2作は『妻、小学生になる』にもつながるテーマであり、村田先生が作品を通して伝えたい想いがとても込められた作品であると感じた。 「わたしはおにのこ」はお母さんが怖い小学生の女の子ハルが主人公で、その女の子の目線で物語が語られていきます。自分が泣くまで怒り続けるお母さん。自分の事を「産むんじゃなかった」と言っていたお母さん。学校の先生が言ったすぐ怒る人には鬼が付いているという言葉を信じ、亡くなったおばあちゃんが言っていたなんでも助けてくれる神さまにお母さんについた鬼を追い払う方法を尋ねに行くハル。そんなハルの前にしゃべるたぬきさんが現れる。話を聞いたたぬきさんは、ハルに鬼を払うための豆を4つ渡すのだ。 その後、家に帰ったハルを待っていたのは帰りが遅かったことに怒る母親だった。早速鬼を払う豆を母親に投げつけるハル。すると突然、何故か赤ちゃんであったころのハルの夜泣きを、別れたハルの父親の冷たい言葉を受けながらあやすお母さんの姿がハルの目の前に広がったのだった…。 │母親の言葉「産むんじゃなかった」に込められた本当の意味を知ったときには心を打たれる想いがそこにあった… この『わたしはおにのこ』には子供から見た親の行動の大切さと、親から見た子供という存在の大切さの2つのメッセージが込められており、母親の言葉「産むんじゃなかった」に込められた本当の意味を知ったときには心を打たれる想いがそこにあった…。 またタイトル『わたしはおにのこ』の意味も読む前と読んだ後で感じるものが違ってくるのだが、これは一部だけ切り取られた情報で勝手な意見を言うネットニュースなどに踊らされ、一方的な意見に加担してしまう今の時代の流れの中にいる私たちに対してのメッセージのようにも感じる。 もう一編の『1001回目の命日』は死を繰り返す男の物語なのだが、自分の生き方を見返し明日に足を進めていけるよう背中を押してもらえるような、そんな作品となっている。 『妻、小学生になる』はドラマ化もされ多くの方に読まれる人気作だ。小学生に生まれ変わった妻とその妻に先立たれ未来が視えなくなっていた元旦那の人間ドラマ(とあえてここでは描かせていただくが)に心を鷲掴みにされるような感動得た方は少なくないだろう。そんな方にはぜひこの『生還 村田椰融短編集』も読んでいただけたらと思う。読み終わった後自分の中で感じたこの物語を語り合いたくなるほどこの1冊には多くの得るものがあるはずだから。 (文:仕掛け番長) │仕掛け番長のおすすめ本 生還 村田椰融短編集 発売中 著者:村田椰融出版社:芳文社 商品検索 商品検索 作品詳細 【コンシェルジュ】仕掛け番長 栗俣力也(くりまた・りきや)。TSUTAYA IPプロデュースユニット 企画プロデューサー。TSUTAYA文庫、コミック、アニメグッズの企画を担当。10年以上のキャリア持つ書店員でリアル店舗からヒット作を次々と生み出す事から仕掛け番長と呼ばれる。人生のバイブルは『鮫島、最後の十五日』 Twitter(@maron_rikiya)