ベルリン・天使の詩のクチコミ・レビュー

クチコミ・レビューFilmarks

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投稿者:焼売 2019年06月25日

サブスクで無いからずっと見たかった映画
ついにレンタルできました

だけど個人的には微妙でしたねー
タルコフスキーもロイアンダーソンも苦手だったし俺にアート系映画は無理なのかも。小津は好きなんだけどなあ。。

デスノートの、死神が人間に恋すると死ぬの元ネタはこの映画なんでしょうね。おしゃれな引用だなとデスノートの評価はあがりました 笑

投稿者:mai 2019年06月19日

塔の上から人々を見つめる天使たちは人間の声が聴こえ、そっと寄り添い、見守っている。
人間に恋をしても、触れる事も出来ない。
退廃した世界のモノクロの映像から、鮮やかに色めく世界に切り替わる演出が素敵。詩的で文学的で、儚く美しい。

投稿者:紫煙 2019年06月19日

愛妻家というのは、ささやかながらも大いなる趣味であり、男にとっての趣味とは、研究を意味する。

結婚して10年も過ぎた頃、妻が、何かに似ていると思った。はじめそれは、偶蹄目(ぐうていもく)の草食動物くらいに、漠然としたものだったけれど、結婚15年を過ぎて、はっきりとした像を結びはじめた。

彼女は、ラクダによく似ていた。

2人で『アラビアのロレンス』を観返したとき、予感は確信となった。そのことを彼女に告げると、笑いながら「そうかもしれない」と納得した。

妻は、1箇所にとどまるよりも、移動することを好む。毎日のルーティーンを、苦もなくこなす。いつも何かをモグモグしている。あまり水を飲まない。長いまつ毛と、顔の面積の半分くらいを占める大きな目を持っている。

また、エジプト文明への不思議な郷愁を持っていて、テレビや写真でピラミッドを見ると、必ず立ち止まる。すっぴんで、ツタンカーメンのマスクに似ている(メイクの意味を感じたことが、ほぼない)。

そして妻には、水に対する恐怖があるいっぽう、海であれ湖であれ、澄んだ水に対する強い憧れもあった。

このことを総合すると、次のような像を結ぶことになる。

旧約聖書『出エジプト記』の時代。彼女は、王家に近い場所で飼われていたラクダだった。ある日、モーセという男が現れ、10の災厄をもたらし、イスラエルの民を率いてファラオのもとを去っていった。

ファラオは王家の威信にかけ、軍勢に後を追わせる。そのなかには、食料を積んだラクダの群れもあった。

行軍からどれくらい経ったのか、彼女は知らない。気づいたときには、ナイル川は左右に分かれ、巨大な水の壁を作る川の底を歩いていた。

やがて、水は閉じられる。ナイル川の圧倒的な濁流が、彼女を襲う。

この話を妻に聞かせると、彼女は沈黙しながら、思いをはせていた。古代エジプトのあの頃、ラクダとして生きていた自分を。ナイル川の濁流が、どれほど怖かったかを。なぜ、澄んだ水に対する憧れがあるのかを。

おそらく、妻にとってのはじめての生は、ラクダだった。その後、ジプシーに飼われた犬としての転生があり、今はじめて人として生きている。

犬として生きた頃の話もたくさんあるけれど、ともあれ妻を研究すると、そのような事情がよく見えてくる。夫婦で交わすこの大真面目な戯れを、私は愛している。

ところで、妻がラクダ(そして犬)だったなら、私は何だったのだろう?

その答えを妻は、天使(エンジェル)だと言う。人であって、人ではないもの。惜しみのない愛。使命に対して、自分の都合を混ぜないところ。

そこで、妻がラクダであることを『アラビアのロレンス』で確信した経緯から、私についても『ベルリン・天使の詩』を観れば、何か分かるのではないか。

そんな思いで、この作品を観た。

1987年公開の西ドイツ映画(仏との合作)と聞いて、「あぁ2年前だ」と思う人は、もはや40代以上なのかもしれない。2年後に起きたのは、1989年のベルリンの壁崩壊。

この作品の舞台はベルリンであり、東西を分けた壁が、重要なシーンとして描かれていることを見ても、やはり1種のアジテーション(扇動)が込められていたのだろうと思う。

セリフにも、それを思わせるものが多い。

けれど私は、アジテーションには興味がない(プロパガンダは、もっての他)。良い作品は、そんな企てなどを超えていくし、超えられなかったものは残らない。それだけの話だとするのが、私の基本的態度としてある。

したがって私はこの作品を、1984年公開『パリ、テキサス(Paris, Texas)』に対する、監督自身のレスポンスとして観る。

表現者の宿命には、自身の過去作品をどう乗り超えていくのかがあり、そのことはきっと、鑑賞者の想像以上に大きい。

両作品に共通して流れるテーマは、何かに「つかまれる」という状況。『パリ、テキサス』で、トラヴィスがつかまれたものは、虚無に近い名づけようのない何かだった。

トラヴィスは、かつての妻を、マジックミラー越しにしか見ることができなかった。涙を流すことはできても、肉体をもった実存(固有の存在)として、彼女を抱きしめることはできない。

すべては彼のもとから過ぎ去ったものであり、過ぎ去ったものに対し、彼の肉体は、何の責任も負うことができなかった。責任とは、それがたとえ不幸に導くことであったとしても、この体で、彼女を抱きしめることを意味する。

虚無に近い、何かにつかまれてしまったトラヴィスには、それができなかった。

いっぽう『ベルリン・天使の詩』に登場する天使たちも、一種の無力のなかにいる。彼らは、人々のそばに立ち、寄り添いながら見守ることしかできない。

悠久の時間を生き、人の誕生以前からこの地にあり、そして人類が有史を刻みはじめて以降も、つぶさにその1つ1つを記録し、記憶している。

嘆く人に手を添えることで、希望を取り戻していく者も、なかにはいる。けれど彼ら天使は、傍観者として存在するしかない。

そんななか、天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)は、1人の女、マリオン(ソルヴェイグ・ドマルタン)に恋をする。そのとき彼は、恋に「つかまれ」たといえる。

彼は憧れる。地上に存在する、温もりや冷たさに。バスタブにつかる癒しのためには、疲労が必要であることに。そこに存在する、苛立ちや絶望にさえ。

そして彼は、肉体をもつ人となった。

この過程は、『パリ、テキサス』のトラヴィスの「つかまれ」とは、綺麗に対称性を描いている。この世からあの世へ、あの世からこの世へ。

いずれも「つかまれる」という力に動かされながら、とった行為は正反対のものとなっている。『パリ、テキサス』のコールに対する、『ベルリン・天使の詩』のレスポンス。

ヴィム・ヴェンダースの自意識がどうだったかは知らないけれど、表現者としての宿命が、このようなコール・アンド・レスポンスを描かせたように感じられる。

作品論的には、そのように観ることができる。そして私は、作品論にしか興味がない。何かを超えていくのは、監督の自意識ではなく、いつでも作品だから。

ところで、この作品には、もう1人重要人物が登場する。

それは、刑事コロンボのピーター・フォーク(本人役)ではなく、ホメロスに思いをめぐらせる老人(クルト・ボウワ)のほう(ピーター・フォークには、かつて地上に降りた、先輩天使以上の意味はない)。

彼は、人類最古の吟遊詩人ホメロスに思いをはせ、「語り継ぐ」ことの重要性を、切々と訴える。

かつてカフェなどで賑わっていた、ベルリンの壁づたいの空き地を歩きながら、東西に分かれていなかった頃を懐かしみ、ナチの旗がかかげられた1933年に心を傷ませる。

そして言う。人々がどれほどの悲劇に見舞われようと、語り部(かたりべ)が語るなかに、1つの救済があるはずだと。なのにもしも、人々が耳を傾けなくなったからといって、語り部が語ることをやめてしまったなら…

これは、「つかまれる」ことによって、実存としての肉体を放棄したトラヴィスと、逆に獲得した天使ダミエルの往来とは、まったく別の位相として走る、この作品のもう1つのテーマと言ってもいい。

語り継ぐことのなかにある、救済。

思えば、私もまったく同じことを、高校へ向かう自転車をこぎながら、17歳のときに考えていた。もしも、ある痛みや苦しみがあったとしても、それが誰かに語られたなら、1つの救いになるのではないかと。

ヴィム・ヴェンダースにとっては、それが映画を撮るということのモチベーションでもあるのだろう。かつて、まったく同じことを青年期にかけて思っていた私には、そのことがよく分かる。

Als das Kind Kind war
アルス・ダス・キント、キント・バー
子供は子供だったころ

と繰り返される、監督が委嘱したペーター・ハントケによる詩は、そうした語り部がもつ「声」による救済を、象徴的に表している。なんて美しい響き。

やがて、映画のラスト近くで、人となった天使ダミエルは、恋する人マリオンと出会う。そしてマリオンは、これまで自分に起きたことは、すべて偶然と思っていたと話したうえで、続ける。

マリオン:
偶然はもうおしまい。先の運命がわからなくても、決断する時。私たちの決断は、この街の、すべての世界の決断なの。

このセリフは、東西融合へのアジテーションと言えばそうなる。しかし私にとっては、ペーター・ハントケによって書かれた言葉が、そうした企てを超えていったように響く。

マリオン:
私は初めて、私のすべてで迎え入れた。その人をそっくり迎え入れ、迷宮をはりめぐらせた。一体でいる幸福の迷宮を。

つまり、ある種の「つかまれ」によって、人は否応なく、ある状況を生きていくことにはなるものの、その「つかまれ」を宿命として受け入れ、意志的に(決断として)「つかみかえす」ことによって、街も世界も、この世のものとして輝くことになる。

そのようにすべてを迎え入れることによって、私たちのなかには、迷宮のような袋小路をもつ、ある困難が生まれることにもなる。けれど、それは幸福な困難だと言える。逆に言えば、幸福な迷宮として、私たちはそのなかに生きることができる。

愛妻家という趣味を18年続けてきた私には、このセリフが、どうしてもアジテーションだとは思えない。そんな企てを超えていく、明らかに愛を詩(うた)った言葉だろう。

さて…

この映画を観終えたのち、天使ダミエルに対する共感と、妻にとってのエジプトに近い郷愁が、強く残っている。それはつまり、妻が言うには、やはりそういうことらしい。

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クチコミ・レビューTSUTAYA DISCAS

即興的な映画だったとは……

投稿者:カマンベール 2019年03月27日

1987年(ドイツ/127分)ヴィム・ヴェンダース監督作品。

以前に鑑賞した時は、美しい映像詩に衝撃を受けました。
でも、台詞が詩篇の断片で出来ているのが、意味不明で、
美しいけれど、不可思議な映画だと感じました。

今回、鑑賞後にウィキペディアを調べて“なるほど”そうなのか?と
合点が行った点が多々ありました。
そこを述べてみます。

ヴェンダースが次回作の撮影開始が遅れたので、その合間を埋めるためにベルリンで撮影することを条件に作られた作品である。

ドイツ語の美しさを引き出すために脚本は書かれず、詩人のペーター・ハントケの書いた詩の断片を集め、それをつなぎ合わせることとした。

撮影は映像監督の名匠アンリ・アルカン(ローマの休日・・この知識は趣味は洋画さんのレビューよりお借りしました)を説き伏せることにより、幻想的な映像美と荘厳さを持つ作品になった。

登場人物
守護天使ダミエル(ブルーノ・ガンツ)
サーカスの舞姫マリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン・・実に美しい)
ホメーロス(クルト・ボイス)
守護天使カシエル(オットー・ザンダー・・無言ながら秀逸)
元天使ピーター・フォーク(本人役)

ダミエルがマリオンに恋をして人間になる・・・ここが映画のハイライトなのですが、守護天使だったダミエルが人間に変わった途端に、
気取りをかなぐり捨てて、人間味たっぷりになるのは演技なのでしょうか?
美しい様式美と廃墟のようなベルリンの街。
時にユーモラスに暖かく、実験的なのにフレンドリー。
奇跡に奇跡が重なった産物の映画なのでしょうか。

まだベルリンは東西に隔てられた「壁」がある。
「壁」が崩壊するのは、映画撮影から2年後のことです。

直感的に構成された寓話

投稿者:趣味は洋画 2019年01月18日

ベルリン・天使の詩(1987年 西独・フランス、セピア調モノクロ及びカラー128分)

中年男の天使の目を通じて、大都会の様々な表情が映し出され、ベルリンの過去と現在が浮き彫りにされていく名編。人間の営みを愛そうとするヴィム・ヴェンダースの視点が心優しい。

天使のダミエル(ブルーノ・ガンツ)が、ベルリンの空高くそびえるモニュメント(女神像)の上から街を見下ろしている。彼には下界の人間の心が読めるが、その姿は子供にしか見ることができない。そしてダミエルには人を助ける力はなかった。彼は友人の天使カシエル(オットー・ザンダー)と、街で聞いた人々の孤独な声や街の様子を語り合う。ある日、ダミエルは空中ブランコの練習をしているマリオン(ソルヴェーグ・ドマルタン)という娘に恋をし、人間になりたいとカシエルに打ち明けた。カシエルは反対するが、映画の撮影でベルリンを訪れている俳優のピーター・フォーク(本人)は、見えないはずのダミエルの姿に握手を求め、人間界へ来ることをしきりに勧める...。

映画を半分観終えたあたりで、それまでセピア色に近いモノクロ画面だったが、急にカラー画面に変わる。だが一瞬のうちに、また元の色彩に戻る。そして映像が超早回しになる。
その後、幾度かモノクロとカラー映像が交互に切り替わる。
天使が人間界に降り立った瞬間、カラーに変わったことから、モノクロ映像は天使の目線、カラー映像は人間の目線を表現していることが想像できる。この映画はファンタジーともいえるだろう。
この詩的な美しさをたたえたカメラ・ワークは、フランスの名カメラマン、アンリ・アルカン(ローマの休日など)。何にも増して素晴らしい。撮影当時78歳というから恐れ入る。

TV「刑事コロンボ」のピーター・フォークが、フォーク自身の役で出演し、映画に人間的な温もりとコミカルな味を添えている。
又、ナチス時代にドイツを追われ、アメリカで43年「カサブランカ」等に出演した老優クルト・ボウアが、歴史の語り部ともいうべき詩人の役で出演しているのも興味深い。(出演時86歳)

主演のブルーノ・ガンツは本作で世界的に知られるようになったが、78年「ブラジルから来た少年」にも出演してた。2004年「ヒトラー ~最後の12日間~」でアドルフ・ヒトラーを好演、凄みのある演技が評価され、以降は話題作への出演が目白押しとなっている。

ラストに流れる字幕テロップ...
‘すべての かつての天使 とくに 安二郎 フランソワ アンドレイにささぐ’
云うまでもなく、小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーの3氏である。
3人に捧げられたのは、それぞれに‘子供を主人公にした傑作’があるから。
本編に付随された特典映像の中で紹介されている。


 重厚な抒情詩

投稿者:snap 2019年01月07日

小津映画考察の過程でヴェンダースに興味を持つ。
それ以前見た2本は偶然ヴェンダースのドキュメンタリーで“東京画”でヴェンダースに結びついた。小津安二郎を敬愛する海外の映画監督がどんな映画を撮ったのかを見たくなった。

難解な映画だと思うが、その中でも何となく言いたいことが分かるような気がするミディアムクラスの難易度だと思った。

セピアがかったモノトーンの映像で始まるので時代設定に戸惑うが、ジェット旅客機の場面やTVゲームの場面で80年代と推察できて、ベルリンの俯瞰映像が映し出される。
話が進む中で登場人物の男性が、実態のある人間ではなく霊だという事が分かってくる。
俯瞰の景色やカメラの動きが霊の感覚に誘ってくれる。

話す内容は詩的であり哲学的であるような、で意味が良く分からない。
一度見終わった後で意味を確かめたくなり、1.3倍速や部分的な早送りで2度見た。
霊がベルリンの街を彷徨い歩く中で出会う人々の話から、生きる事の大変さ、辛さの様なものが感じ取れる。

霊がサーカス小屋に行き、空中ブランコの女に興味を持つ。
子供を楽しませるレベルのサーカス小屋の世界観が、アンニュイな雰囲気で無垢な子供が描いた絵がそのまま動くような世界を醸し出す芸術のようでもある。
サーカスの楽団は“東京画”のBGMの様な低音を奏でる。
空中ブランコの女性の美しい姿態のスリルある演技が長く続き、直下で座長と思しき男と霊が不安そうに行ったり来たりと歩きながら見上げる動作に、ミスして転落してしまうのではないかと一層のスリルと不安を掻き立てる。
ブランコ乗りの女マリオン演じるソルベーグ・ドマルタンはこの映画のためにプロの元で特訓をしたのだと言うから大した女優魂である。

刑事コロンボのピーター・フォークが俳優ピーター・フォーク役で登場するのが面白い。
一度目の視聴で気が付かなかったが、冒頭の旅客機内のシーンで早くも登場していた。
ピーター・フォークがかつて霊の仲間でその存在を感じられると言う設定が奇妙である。
説明は無いし、整合性も無いが、この映画で説明は意味に感じられる。
霊に向かって生きる事の楽しさ、愛おしさを伝えようとする。
ピーター・フォークの計らいで、霊は肉体を得た。そして映像はカラーに変わる。
黒いコートから色のついた柄のブルゾンに着替える。
怪我をすれば出血をし、歩けば足跡が付き、地面を蹴れば砂埃が立つ。人に見られ会話できる喜びに浸る。
ピーター・フォークに会いに行き、この意味の教えを乞うが自分で考えるのが楽しいよ、と言う答えがこの映画のテーマである生きる事の象徴だと思った。
これらは一度目の鑑賞ではおぼろげだったが、二度目に見て分かった事だ。

サーカス一座の解散は何とも侘しい。
小津映画の“浮草”でドサ周りの一座の解散を思い起こした。

本作は“東京画”の翌年の製作年になっていて、冒頭から日本を強く意識した作品だと感じられた。ロンドン、パリ。京都、東京、(どこか)、ベルリン、と地名を羅列した中で日本の都市を2つも挙げている。ロックのライブ会場で日本語が唐突に聞こえて、日本人らしき女性が写る。
そして映画のラストでヤスジロー、フランソワ、アンドレイに捧げる、と言うテロップが写される。
小津つながりで、ヴェンダースから未知のアンドレイ・タルコフスキーに広がった。

霊だったダミエルとマリオンがライブハウスのバーで再会し会話する内容は難解だったが、
ここでの会話に意味が隠れていそうで3度目を見たくなる。
マリオンがダミエルを認識する整合性はここでも不毛。


( 39件のレビュー閲覧後の感想 )

>『都市とモードのビデオノート』や『時の翼にのって』に対して「どうしちゃったんだヴェンダース」と騒がれたのもよく分かる。
- ヴェンダース作品としては異色と言うか変質的な作品という事か。これ以前の作品とどう違うのかを確かめてみたい。

他のレビューも見て感じたのは、映画通ではない無垢な状態で鑑賞する事が出来る自分はむしろ幸運だった。
自分が求めるのは個々の作品から何かを受け取れるか否かだけだ。

>意外性のあるピーター・フォークを登場させたことで内容が冗長にならずに済んだのはよかった。

>映画にも必ず寿命はある、と思います。
>20年たった今「ベルリン天使の詩」は少しも色褪せていません。
-  “東京物語”と同じ土俵で評価された“市民ケーン”は自分にとって古い批評家の伝説としか思えずに既に朽ちたものだった。

>あらすじは恋愛映画かのように書いてありますが、それはあくまでもほんの一部でメインテーマは「生きるとは」っていうもっと重厚なものです。
- 恋愛物や単なるファンタジーでは無い重厚さを感じた。

( 引用した文章のレビューには投票させて頂きました )

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クチコミ・レビューTSUTAYA

天使はいた

投稿者:阪東爪楊枝 2016年04月17日

とても美しい映画でした。言葉とその音韻、音楽、モノクロとカラーの切り替り、主人公の物語、全てが絡み合って一つの詩となっていました。私はこの作品自体が、統一前のベルリンに舞い降りた天使だと思いたい。

大人な人向け?

投稿者:miodbin 2011年12月30日

こういう映画は、こういう映画が好きな人しか観ないのでしょうが、私は見せられて観ました。ドイツに興味があったにも関わらず、当時10代の私には、とても退屈で、つまらないだけの映画でした。もっと年をとってからもう一度観たい、その時にはこの映画の良さがわかるかもしれない、と思いましたが、今でもやっぱり無理そうで、まだ観ていません。

静かな映画。

投稿者:Little16 2005年08月22日

冬の休日に静かな気持ちになりたい時、また、日々の生活にふとストレスを感じ、疲れてしまった時に是非観てほしい。セリフの一つ一つが聖書に出てくる感動的な詩のようで、心にしみこんで来る映画。出演者の俳優さんたちも皆、素敵な人柄がにじみ出てるし、そういう人たちが発するセリフは、やはりリアリティがある。ヴェンダースのヒット作品。

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