リプリーのクチコミ・レビュー

クチコミ・レビューFilmarks

3.5

観た人
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投稿者:キャッスルグレンギャリ 2019年04月22日

歴史的名作「太陽がいっぱい」のリメイクというより、同じ原作で制作された違う作品です。「太陽」の二番煎じとなることなく仕上がってます。これはマットディロン他俳優陣の魅力、力量によるものと思います。
それともう一つ、ラストの違いでしょう。
「太陽」のラストシーンはそれは見事、衝撃的です。同じような終わり方では「太陽」に太刀打ちできっこありません。ネタバレになるので詳しく書きませんが、本作は別の終わり方を用意します。結末でない結末。本作のリプリーは「バレ」そうになる危機を何度もかわしてきて、今回もなんとかしてしまうのじゃないか、、と続編も作れそうな終わり方です。
いただけないのはリプリーがホモっぽいところ。なんでなんでしょう。原作がそうなっているのでしょうか。あとマージとメレディスが同じ女性に見えて区別がつきにくい。これは私が年寄だからでしょうかね。

投稿者:ぽてと 2019年04月17日



改めて鑑賞
ジュード演じるディッキーが自由気ままでわがままで、太陽みたいな笑顔が憎めない。この表情に惹かれるんです。
マット演じるリプリーのあのねっとりした視線、怖かった。
二人の陰と陽の演技の対比が素晴らしかったなぁ。

リプリーはディッキーに憧れて彼のようになりたくて…。あれは恋だったのか?
リプリーが必死に偽りもがいて手にしたものは何だったの?残ったのものはお金と孤独。ただそれだけ。

投稿者:もず 2019年04月10日

アラン・ドロンの太陽がいっぱいをまだみてないので比較はできませんが、、

リプリーのこれからの人生に影を背負わせ続けるディッキーは確かに太陽だった。近づきすぎると羽を焼かれてしまう。

とにかくジュードロウの髪型が好みだった。

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クチコミ・レビューTSUTAYA DISCAS

トムは、デッィキーを「リプリー」しようとする。

投稿者:ちゅく 2015年11月28日

「リプリー」とは、この映画の主役・トムの名字ですが、「リプレイ」(再生)、あるいは「レプリカ」(複製)という意味が重ねられているのです。

アンソニー・ミンゲラ監督の「リプリー」は、名作「太陽がいっぱい」の「リメイク」(焼き直し、再構築物)と思っている人がいますが、
その観点は、誤解といっていいでしょう。

ミンゲラの「リプリー」と、クレマンの「太陽がいっぱい」は、それぞれ、パトリシア・ハイスミスの原作「The Talented Mr. Ripley」、
直訳すれば、「才能あるミスター・リプリー」を原作に、別の展開をした2作品です。

「ホモ(セクシュアル)」と「ゲイ」は、範疇が異なります。

以下、書きますが、あくまで、私の知見による「感想」記述です。
また、性同一性障害をかかえている方への発言ではありません。

★(以上を、ご確認いただけましたら、下記をお読みください。)

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私の知人の男性には、「ゲイ」の人も、「ホモセクシュアル」の人もいます。自称ですが……。

ゲイの人は、より「男らしく」なることを求めるのですから、一般的に女装はしません。
そして、洋画「ポリス・アカデミー」で、P・モーリアの音楽に合わせてゲイバーで踊る人々や、「フォー」と叫ぶ吉本芸人のような、極端な格好はしません。

ときどき、自分以上の「男らしさ」に憧れるあまり、一人の男をめぐって階層ができ、闘争が起こるということです。
そこで、女装する「ゲイ」の人も、いる。

「ホモセクシュアル」は、範疇が広い。今、同性愛を希求する人、すべてを包活する。

ある場合(知人ですが…)がっちりした同性愛の男性が「男」であり、彼に惚れて尽くす男性が「女」になる。

異性愛と同性愛を具有する場合、それを「バイセクシュアル」と称することがある。

そもそも、人間には、両性愛が宿っていると思う。
子供のころを思い出してみれば、性向は、まず同性に向かっていた。
性向は、環境によって変わる。

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「太陽がいっぱい」のルネ・クレマン監督は、ゲイではなく、ホモセクシャルの男として、若いアラン・ドロンという女を愛したのではないだろうか。

ドロンは、「バイセクシュアル」と思います。
ヴィスコンティにもクレマンにも愛され、女性のパトロン、格上の共演女優に可愛がられ、スターになったのではないか。

名作「太陽がいっぱい」では、クレマンが「恋人」ドロンを起用し、モーリス・ロネに自分を重ねたという見方ができます。

パトリシア・ハイスミスの原作「リプリー」でも、トム(リプリー)とフィリップは、互いに同性愛をもつ人物として描かれています。

ミンゲラの「リプリー」。
彼の志向は、どこにあったのだろうか。
マットより、ジュードに向かっている? 

映画の出来としては、「太陽がいっぱい」が、12勝3敗でしょう。

三つの勝ちは、

① 時間は長いが、それも含め、スケールが大きい。俯瞰できる。

② マット・デイモンの好演。(美男ではないが、監督は彼を好きだ。)

③ ケイト・ブランシェット、フィリップ・シーモア・ホフマンの脇役の魅力 。


この映画は、女優にとって、つらい。
マリー・ラフォレも、グウィネス・パルトローも、美しいが、輝きを閉じられている。

原作の宿命だ。



‘惜しい’の二乗

投稿者:趣味は洋画 2015年10月31日

観た映画に点数をつけるのは意に反しますのでやめますが、正直この映画、惜しいですね。
59年「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン監督)のリメイク...この程度の予備知識のみで観ました。勿論、「太陽がいっぱい」の出来には遠く及びませんし、比較すること自体、あまり意味がないと思います。

何が惜しいかといえば、
①主役のマット・デイモン。 何人かのレビュアーの方も記されていますが、「ダサイ」です。
この「ダサイ」という言葉そのものが、もう古くて、それこそ「ダサイ」のかもしれません。
ファンの方には申し訳ないのですが、このトム・リプリーという役、ほかに誰かいなかったんでしょうか。もっと切れ味鋭い性格俳優なら良かったのに...

②ゲイのにおい
これは不要でしょう。 このストーリーの流れに、なんでこれが入ってくるのか理解できません。

③ラストシーン
えっ?これで終わり?...
しばらく、頭の中で、冒頭のシーンからずっと回顧していたのですが、ひらめきの悪い私めには理解できませんでした。
(こういう終わり方もいい、と肯定されるかたもおられるとは思いますが...)

共演陣ははなかなかの豪華メンバーですし、監督はアンソニー・ミンゲラ...大物ですよね。

それだけに余計、惜しいナ...


マットの演技光る

投稿者:ヘレン 2014年05月05日

昔映画館で観ました。
その頃、マットはグッドウィルハンティングで、
脚本のアカデミー賞を取ったばかりで急にスターになったばかり。
環境の変化のまっただなかだったのか、
リプリーの心境の二面性も、うまく表現していました。
マットの演技がうまいですし、アメリカンJAZZが楽しめる。
ジュードもはまり役。
イタリアでは、マットが地元人に、デカプリオに間違えられたりしたそうです。
マットのカメレオン演技が光る。
ストーリーは後半が泥沼で暗かった。

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クチコミ・レビューTSUTAYA

日焼けしたジュードがまぶしい

投稿者:hysk 2005年08月20日

ジュードロウという人を全くしらないで見たんだけどあの美しさは太陽がいっぱいのアランドロンのようでした。その後有名になりましたが、このリプリーほどの美しさは感じられません。そういった意味でも貴重です。光と影のような二人がうまく出ていたと思います。最後まで凝っていました。

ジュード・ロウかっこいい

投稿者:まい 2004年10月21日

マットデイモンのリプリーが、不器用な人間独特の雰囲気をかもし出していて見てて苦しかった。演技うまい!でもきもい。。ジュード・ロウがまぶしすぎるだけに余計マットの不気味さがきわだって気の毒。ジュードがいなくなってからの後半はつまらなかった。でもジュードファンにはお勧めです!奔放でキラキラした彼が楽しめます。

奥が深いねぇ・・・

投稿者:ウィンター 2004年04月20日

凄く面白かったよ、これ。自由奔放な金持ちお坊ちゃんの生活にあこがれる貧しい青年リプリー。小さな嫉妬心が大事件を引き起こす事になろうとは。死体隠しに奔走するシーンは緊張感あり。

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