壬生義士伝のクチコミ・レビュー

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投稿者:yoshi 2019年03月19日

時代劇は日本人の心。武士道は日本人の道徳である。間もなく桜が開花すると仕切りに聞く時期になってきた。美しく咲き、潔く散る桜は、武士の生き様に似て、古来より日本人の心を捉えてきた。この映画に登場するある桜は主人公を生き様を象徴している。この映画は武士の生き様ではなく、滅私の愛を描くものとして見て欲しい。

東北出身の私は、仕事の都合で、主人公吉村貫一郎の故郷である岩手県盛岡市に10年ほど住んでいたことがある。

天気が良いと映画に登場する名峰、岩手山が美しく見え、下町は旧家や歴史的建築が残り、城下町の風情が残る美しい街である。
また中心部に映画館通りと言う映画好きにはたまらない通りがあり、映画館が10軒以上、立ち並んでいた。(現在は少し減った)
読書好きで知られる盛岡市では、この映画原作の書籍も、かなりの量が平積みして売られ、私も購読した。
「まだ読んでないの?」と仕事仲間に言われるほどの局地的ブーム。
さすが石川啄木や宮沢賢治を輩出した岩手県の中心らしく、文化の香りには敏感な街でだったのである。

この映画は公開当時、その盛岡市で見た。
ご当地映画と言うこともあって、県民必見の映画であり、かなりの期間のロングラン。

Wikipediaにも掲載されているが、原作者の浅田次郎の長女が岩手の医科大学に入学し、盛岡で一人暮らしを始めたことから、浅田氏も何度か盛岡を訪れ、盛岡(南部藩)藩士を主人公にした作品を制作しようとしたことが、本作のきっかけである。

企画段階で監督を務める予定だった盛岡市出身の相米慎二が、2001年9月9日に急死。(彼が監督だったならば、さぞリアリズムに溢れていただろう…)
その為、2003年に滝田洋二郎により映画化された。

東北の田舎侍が新撰組に入隊し、武士としての義理、家族への愛をつらぬき、幕末の時代を駆け抜けた姿を描いた作品。

結果を先に言うと、初見の時に泣いた。時が立って、今回再見したら号泣してしまった。
主人公と同じ、父親としての立場で見たからだ。

東京の明治三十二年冬の晩、大野医院に元新撰組隊士、今は老人となった斎藤一(佐藤浩一)が、孫の診察のため訪れる。

病院に新選組の隊士・吉村貫一郎の写真を発見する。
南部藩下級武士出身の貫一郎(中井貴一)は、朴訥な人柄ながら剣の達人であったが、反面、命を惜しみ、金銭に汚かった。

故郷の南部で赤貧に喘ぐ家族を養うため、脱藩し新選組に入隊したからだ。
斎藤はそんな貫一郎を嫌ったが、新撰組の反乱騒ぎの際に義理を通す姿を見て一目置くところもあった。

時代は大政奉還を迎え、賊軍となった新選組は官軍に追われる。
貫一郎は新撰組として最後まで戦うが、傷つき南部藩、大阪蔵屋敷に逃げ込む。

そこには幼なじみの家老・大野次郎右衛門(三宅裕二)が居り、藩を守るため貫一郎に非情な言葉を掛けるのだった。

本作では斎藤一の回想という視点で撮られているが、原作のように、新聞記者が主人公を取材した視点で撮れば、様々な人々の証言から、主人公の人物像が更に浮き彫りになったであろう。

まだまだ、表現の可能性を残している原作なので、再映画化を期待している。

俳優陣の演技はとても素晴らしい。
2004年日本アカデミー賞で最優秀主演男優賞(中井貴一)、最優秀助演男優賞(佐藤浩市)を受賞している。

中井貴一は、三十台後半、痩せ形で背が高く、おとなしい性格で学問があるという原作の主人公、吉村の記述にピッタリの風貌であり、剣術はたいそうなものだが、威張ったところがない。学問があっても鼻にかけるわけじゃない、その立ち振る舞いは、原作ファンにも納得の配役。

殺陣においても、長身ながら中々腰の座った構えを見せている。剣の重みを感じない刀の振り方だが、その長い腕のリーチから、先手で勝ち取る剣であることに説得力がある。
東北の人間としては、時折、語尾の音を伸ばさない方言の発音が気になるが、言葉がスムーズに出ることに役作りの努力を感じる。

佐藤浩市も、謎の多い新選組隊士の斎藤一を、陰のあるミステリアスな人物として演じている。不遜な態度の反抗的な人物は彼の十八番だが、僅かな視線の動きと口元の笑みの変化で、次第に吉村に影響される斎藤一をチャーミングに演じている。

吉村に切腹を言い渡す、大野次郎右衛門役の三宅裕二は、さすが舞台役者。
方言のアクセントが最も上手い(笑)
東北出身と嘘をついても信じる人が必ず出るレベルだ。

アクション、スケール、ストーリー、どれを取っても一級品である。

しかしながら、大きな問題が一つだけある。
それは主人公の吉村が厳密に言うと「武士」らしからぬところだ。

この映画の最大の欠点は、最後の吉村貫一郎が同郷の大野に切腹を言い渡されて、死ぬまでの独白シーンだろう。

原作を読んでいなければ、家族を養う立場にない者にとっては、かなり長く、間延びした独白シーンに思えるはずである。

吉村貫一郎の武士らしからぬ、現代的な人間性を際だたせるためには、映画の前半で家族の退っ引きならない貧困の状況、加えて、もっと金に執着するシーンを持ってきた方が良かったと思う。

良く比較される「たそがれ清兵衛」は、その貧困が、冒頭から静かに、至る所に表現されていた。

そうすれば、この切腹でのコントラストがはっきり浮かび上がり、印象が深くなったと思う。

武士道を説いた「葉隠」にも「武士道とは死ぬことと見つけたり」と記されているように、いつでも死を迎える準備を常日頃の鍛錬によって培う者こそ、武士だったはずだ。

当時の切腹とは、武士にとっては罰ではないのである。

それは、往々にして強制であるにしても、基本は自らを自発的に裁く結果、死を持って社会に対して償うべきだと自ら判断し、実行される行為であったのだ。

だからこそ、自ら死を選ぶその精神力に対し、その潔さを賞賛し、名誉の死と捉えられたのである。

立場上の問題もあったが、同郷の大野が切腹の場を屋敷に設けた配慮に対して感謝し、潔く腹を切るのが武士であり、その死を前にして延々と泣き言を語る吉村の姿は、武士にあるまじき行為であると感じられてならない。

つまり当時の武士にとって、この映画で描かれた切腹の前の命惜しみは、過剰な心情の吐露であり、脆弱に過ぎると思わざるを得ない。

現代人と同じ感覚で、命を惜しんでいるように見えるのだ。

更に言えば、この映画に描かれた主人公が、タイトル通り、本当に「義士」なのかという疑問である。

「義」とは人間としての正しい道、正義を指すものであり、武士道のもっとも厳格な徳目である。

新撰組という京都の治安を守り、反幕府勢力を取り締まる戦闘組織に身を投じる事は、武士にとって「大義名分」がある。

しかし主人公、吉村の目的は金である。

一般的に「義」とは「公=社会」に尽くす心であり、それは「私」と相対する概念である。

吉村は自分の家族を養うという「私」のために働いた。

打算や損得から離れ、自分が正しいと信じる「義」を貫くことが武士の正しい姿とされた。
ゆえに武士は銭勘定を嫌った。
「武士は食わねど高楊枝」(金欠で食えなくても食べたフリ)という言葉もある。
銭勘定はつまり損得を追求する行為だからである。
だから商売は商人たちにまかせて、上位の身分である武士たちは、市井の人々の模範となる生き方を追求した。

吉村は、守銭奴と呼ばれ、人々の模範とは言えない。

打算や損得を超越し、自分が正しいと信じる道を貫く。武士道の中心となる良心の掟、これが義の精神である。

仮に自らの家族の生活を守る「生活費」を得るためだとすれば、公的な目的を私的に捻じ曲げた結果だと、言わざるを得ない。

私は何も、この映画に対して文句をつけたい訳ではない。

主人公が止むを得ず、切腹するという時代劇特有の場面に至り、時代劇として説得力ある描写が、若干足りていないと言いたいと言いたいだけだ。

吉村貫一郎は、この動乱の幕末期、すでに現代人なのだ。

「わしが立ち向かったのは、人の踏むべき道を不実となす、大いなる不実に対してでござんした。
わしらを賊と決めたすべての方々に物申す。勤皇も佐幕も、士道も忠君も、そんたなつまらぬことはどうでもよい。」

「大義名分」ではなく、人として大切なものは何かを問いかける吉村貫一郎。

「わしの主は南部の御殿様ではねがった。お前たぢこそが、わしの主君じゃ。
何となれば、わしはお前たぢのためならば、いつ何どきでも命を捨つることができたゆえ。
さしたる覚悟もいらず、士道も大義もいらず、お前たぢに死ねと言われれば、父は喜んで命ば捨つることができたゆえ。」

理不尽な主従関係ではなく、信じられる、愛するに仕える吉村貫一郎。

やはり吉村貫一郎は「武士」ではない。

だから家族と新選組に義理立てした「義士」というタイトルを、原作者はつけたのであろう。

吉村貫一郎は、武士の姿を借りた単身赴任の働くお父さんである。
切腹の申し渡しは、まるでリストラや倒産を想像させる。
誰も望まない死を遂げることが、とても悲しいのだ。

この映画は、現代社会を反映し、現代人の心の在り方を説いた時代劇である。

桜のように潔く散ることが、現代では美德ではないのだ。

劇中、冠雪の岩手山をバックに一本の桜が映る。
特撮でも合成でもなく実在の風景である。
盛岡市から約20kmにある雫石町、小岩井農場の牧草地に根を張る一本桜である。
一本桜があるこの草地は、昔は牛の放牧地。牛は暑さが苦手なので、夏の強い日差しから牛を守る「日陰樹」として植えられたもの。


一本桜は、吉村の心の比喩だろう。
ただ広い大地に咲く桜は、美しい人徳の象徴、つまり吉村自身である。
荒れ野に根を張り身動きが出来ない。

その背景には、壮麗な岩手山。
その存在の大きさ、美しさは、吉村が戻りたい家族と故郷の象徴だろう。

吉村が美しいと評した故郷の風景は、皮肉にも彼自身を表す、悲しい心象風景だったのである。

滝田洋二郎監督もよくぞ、この桜を選んでくれた。
(盛岡の中心部、家庭裁判所には「石割桜」という、岩石を割って成長した桜がある。こちらの桜は「意思を貫く」イメージなのだ。)

春が近い。桜の開花も近い。
私は桜と聞いて、この映画が真っ先に思い浮かんだ。

なぜなら、この春から私も吉村と同じ、単身赴任になるからである…。

投稿者:たいら 2019年03月17日

家族への愛が非常に伝わった。

中井貴一演じる吉村貫一郎が、屋敷で腹を切る前の家族に向けて話しかけるシーンは聞き取りにくいところが逆にリアルて泣けた。あと夏川結衣の演技も個人的には、感情移入てきた。
三宅裕司、伊藤くんの演技は入ってこなかったが(^_^;)

投稿者:mynority 2019年03月11日

原作は読了しています。吉村の死に際が少し長く感じられたがすごく良い作品であった。病院での場面で斉藤が夫人に会うところは感動的でした。

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三宅裕司さんがいいです!

投稿者:伝衛門 2018年12月28日

渡辺謙さんのドラマから原作小説に流れたクチの為か、
上映時間が137分とはいえドラマ版の約半分に抑えられていること、
主演が渡辺謙さんから中井貴一さんに切り替わったことによる
私が得意としない”家族愛”推しの鮮明化が気になり、
今まで見送っていた映画版なのですが…

これはこれで良かったです!

渡辺謙さんに感じた見た目から感じ取れる力強さは弱まったものの、
描きたかったであろう内面の力強さは同等か、否強調されているのかと。

感動ポイントは把握しているので、それをなぞる形での鑑賞となりましたが、
鑑賞してよかったと思える作品でした。

ドラマ版に出演されていた津川雅彦さん、夏八木勲さんが映画版に出演されておらず、
もう新たなご活躍を拝見することができなくなっていることに淋しさも感じました。

変化はいつも西方から

投稿者:レビュアー名未入力 2017年02月03日

10年以上前に群馬県太田市にあるスバルの工場へ出稼ぎに行った際、寮の資源ごみ置き場に捨てられていた原作本を拾って読みました。

浅田次郎さんの本は他にも幾つか読みましたがいつも泣かされます。

「壬生義士伝」は特に岩手県民として共感できる場面が多いため余計に泣かされました。

岩手県は地理的な理由もあるためか歴史上幾度となく辛酸を舐めてきた地域だと思います。

時代の大きな変化の時は毎度毎度負け組に加勢してばかり。

しかもその負け組勢力に虐げられた過去があるにも関わらず...

本当にドMかって言いたくなるぐらい。

時流の変化に疎く、勝ち負けを見越すことや損得勘定の苦手な県民性を痛感します。

世渡り下手で融通が利かないと私自身よく言われているため、映画を観ながら少しだけ反省してみました。

斎藤一の忠告を受け入れて戦線を離脱して生き延びて欲しかったものの、最後の突撃シーンはやはりこれこそが吉村貫一郎の最高の死に様なんだと感じました。

最後に、この映画を観て感動された方は是非、三國連太郎さん主演の「息子」も観て頂きたいです。






号泣

投稿者:ミッキー 2014年08月02日

明治初期、新撰組の生き残り(斎藤)が孫を医者に連れて行く所から始まる。
そこで見た1枚の写真は新撰組で共に戦った男(吉村)の写真だった。

その男は盛岡の南部藩出身、吉村貫一郎・・・かれは妻子の為に脱藩して新撰組に入り、お金を稼ぎ故郷へ仕送りしていた。
そんな男を斎藤は好きになれなかった。

歴史的な流に疎い私ですが・・・・
吉村の一途なまでの愛に号泣してしまいました。


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クチコミ・レビューTSUTAYA

泣ける映画ベストワン

投稿者:よしこ 2012年01月16日

劇場でかなり泣いた作品。演出がうまいんだろうけど、分かっていても泣いてしまった。
中井貴一と佐藤浩市の組み合わせは、ほぼ「卑怯なり配役」で安心感いっぱい。
この二世俳優同士が仲良くなった記念作品。誰も彼らを親の七光りだなんて言えないだろうけど。
壬生や歴史についても調べたくなった。

とにかくかっこいい!

投稿者:h_ota_2000 2011年11月05日

中井貴一さん!佐藤浩一さん!かっこ良すぎです
!!!私事ですが、「BALLAD 名もなき恋のうた」の次に見た作品なので、なおさら差が際立ってしまったというか。。。お二人ともいろいろな作品で活躍されていますが、努力家なのか、器用なのか。とにかく、殺陣のシーンは迫力満点です。
あと、沖田総司が堺雅人さんっていうのも新しくて良いです。女の子みたいな人がやることが多い役ですが、ニヒルな感じがよく出ていて適役だと思いました。
音楽 久石譲さん、監督 滝田洋二郎さん、日本アカデミー賞を取るべくして取った秀作と言えると思います。

泣ける

投稿者:みつ 2011年10月07日

とにもかくにもラストは涙まみれのぐちゃぐちゃ顔になりました。小さなハンカチでは足りないほどでした。中井貴一さんの演技には何かわからないが、他の人にはないものを感じます。あまり時代劇系は見ない方なのですがこれは別格でし。中井さんの訛りが入った子ども達を呼ぶ時のやさしい声がたまりませ…

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