ホーリー・マウンテンのクチコミ・レビュー

クチコミ・レビューFilmarks

3.9

観た人
6619

観たい人
14312

投稿者:まる 2021年07月30日

奇天烈さに全振り。あまりの異様さに面食らって話の理解が追いつかなかった。終わり方はすごいのかもしれないが嫌い、萎える。散々長々と独自の世界観を見せて、こっちを取り込んどいてそんなこと言う?

投稿者:SIRMA 2021年07月29日

「好きな映画なに?」「おすすめの映画は?」

このような質問を受けた際、「ホ…」まで言いかけてしまうのは本当に危険だ。

ホーリーマウンテンとでも言おうものなら間違いなく人格を疑われ、今後の関係修復に時間が掛かってしまうのは目に見えている。


軌道修正してホームアローンと答える事にしている。

投稿者:え 2021年07月26日

過去に見た映画は記録しないつもりでいたけれど、ことあるごとに思い出してしまうので。

映画というより主張や聖書に近い。
私の人生の教訓であり啓示のような映画。

色彩が素晴らしい!
エンドレスポエトリー見てリアリティのダンス見て、色!と思ってホーリーマウンテン見たのだが、やっぱりいい色してる。


各人が自らの「本当のエゴ」を追求すれば世界は平和になるなんて本当か?そう信じたいけれど。

ホドロフスキー大好き。

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クチコミ・レビューTSUTAYA DISCAS

寂しく滑稽な「キリスト」像

投稿者:ちゅく 2018年01月27日

最初に、水の音が聴こえます。

「ホーリー・マウンテン」(1973年、メキシコ/米国、カラー、117分)。

「虹泥棒」(1990)を見て、好きになったのでしたが、これは、全然、ちがう!

なんで、モンローの振りをした二人の女が、東洋系の黒装束の怪しい人の前にいて、お経が響ているの?

銀色のポットから、奇妙な茶道のような手捌きで、銀色の盆に液体が注がれ、浸された白布で、黒装束の人は、二人の女の頭・顔を
「濡らすのか・ぬぐうのか・洗うのか」。

黑い人は、女の爪を剥ぎ取り、髪を、鋏とバリカンで「くりくり坊主」にする。

その二人の坊主を、黒い爪の手で両腕に自分の胸へ抱え込むようにする。
この構図が、この映画のポスター、DVDジャケットのデザインになっている。
どうも、構図から出てきたような、眼の光彩世界、そこには甲虫と、細胞動物(日本特撮映画の初期・最高期にあった宇宙生物生物に似た動物)が、
眼=肛門の黒い一点●を狙うように、向かっている。

「ありゃ、失敗したァ」と思いました。
この監督、変な薬でも、やってるんちゃうか……と。
真珠玉のつながり、死体の下に別の死体あり、魂の歴層、屍の堆積から青い真珠が生まれるとでも、言うのだろうか。

次の瞬間、「死体」が遠く映り、アップになると、その男の顔に黑い小さな蠅がブンブン真っ黒に、大量に、たかっている。

ここで、正気に返りました。「メキシコやん」と。ヴィルヌーヴの「ボーダーライン」のメキシコ。この「ホーリー」は40年以上前だが。
死体を狙うハイエナの叫び、ビクッと反応するカエル。
死体の股の間を、死肉の一部を、せっせと運ぶアリの勤勉。
人間は、薬を運ぶ丸太棒のように思える。

山の穴から、偽「キリスト」が登場する。

彼は、煙草を吸う。
都会に行き、射殺される人を救えない。
彼は、凄惨な行為を眺めるだけだ。道化だ。

多くのカメレオンに、衣装をつける。
血が流れる。血の滝を多くのカエルが登ろうとする。

偽「キリスト」は、行事のように十字架をかついでいくが、途中で腹がすいて、豚肉を食う。

彼の鼻の穴には、チューブが入れられる。
かれの上に、タルタルソースのような白いものが排下される。
生き埋めになっても、チューブから空気を吸える。
磔刑を行う者は、酒を飲み、満腹して、全員寝ている。
彼は、死体置き場に、一人さびしく生きたまま捨てられる。

「ぼかし」と思ったら、キリストも含め、死体置き場の全員が裸で、男性器を隠すためだけの紐ビキニをつけている。
全員が「万歳」をしている。

これは、やばい、だろう。
ブニュエルより、もっと、あっけらかんとしている。

時代も変わったのだろう。(ブニュエルがこんなことをやったら、追放で済まなかったろう。)

「カトリック」の人の反発は、教会という権力に向かうのでしょう。そこで、キリスト愛へ向かうのでしょう。
これは、ブニュエルの世界。

ホドロフスキーは、南米のチリ生まれのユダヤ系ロシア人です。
複雑なのかもしれません。もっと、原始教に近いか……。
人格神を疑っているのかもしれません。

「ホド」監督の映画を、もう少し、見たいと思う。


ちゅく

どこを切り取ってもうつくしく、見たことのないめくるめく世界。

投稿者:真 2016年12月16日

これは傑作に出会ってしまった。
ちゃんと見れてよかった。
今まで見逃していたなんて。

冒頭からしびれる。
イスラム建築を思わせる室内。
見たことのない衣服をまとった男性が、ふたりの女性を前にして
まるで日本の茶道のお手前を思わせる所作で銀食器をうやうやしく手に取る。
儀式めいた何か。

そこから先は、もう見たことのない映像、見たことのない光景、
見たことのない人たちがどんどん溢れ出してくる。
自分のイマジネーションや経験をはるかに超えたものが次々に目の前に現れ、
ただただ圧倒される。

ただ人をだしぬこう、とか奇をてらってやろうくらいの想像力ではない。
はるか彼方の世界。
そのイメージが、頭の中にあるだけでなく、描くだけでなく、
実際の人間や動物を使って映像にしてしまう、そのエネルギーにひれふす。

うわ、
とか、目をそむけたくなるような映像のはずなのに、
どこか美しい。
なぜだか分からないけど、美しい。
神々しい。

終始圧倒されながら、エンドロールを迎える。

ラストシーン。
すべての満腹感をひっくり返すあの感じ、観客を引き戻すあの感じは
寺山修司監督作品にもあった。
どちらが先なのかは分からない。
でも、どちらも真似をしたとかではなく、それぞれに必然なのだろう。

何十年も時間を経て、初老になったアレハンドロ・ホドロフスキー監督自身の
コメンタリーがまた面白い。当時の撮影状況を合わせ聞くと、
さらに驚かされる。

ホドロフスキー監督自身、この映画を制作するにあたって、
映画で忌諱とされること全てを入れてやろうと思って制作したそうだ。
なので、もう今では考えられない、当時でもよく撮ったなと感嘆する
驚愕のエピソードてんこ盛りで、それを聞くだけでも面白い。

色んな映像を見てきたし、色んな場所も旅した。
でも、まだ自分が知らない世界、見たことがない世界が山ほどあるんだと
思い知らされたし、それを見てみたい、知りたいというワクワクがふつふつと
湧いてきた。

長く生きてきた。
10代、20代は失恋ばかり、自分の時間がありあまっていて、
何かを吸収しようとありとあらゆるものに手を出し、アンテナを張り巡らせ、
いいと思うものはどんどん体験した。20代、30代は仕事で忙殺された。
40を過ぎ、仕事で体をこわし退職せざるを得なくなった。
これから、お金はないけど、時間はたっぷりある。
長く、自分のやりたいことから遠ざかっていたし、これからまた吸収の時期と
意識している。

そんな自分にとって、ぴったりの映画だった。
タロットや錬金術師というものにインスピレーションを得て、
この映画を撮ったらしい。映画の中で実際登場するタロットの大きな画は、
ホドロフスキー監督自身で描いたものだそうだ。
なんて、才能にあふれる人だろう。

この映画のどこを切り取っても画になる。
画集やポスターにしてほしい。
映画監督だけでなく、ファッションデザイナー、アーティスト、画家、
クリエイターなんでもできる方だと思う。
そこいらのデザイナーよりもずっと魅力的な服の数々。
インテリア。
色彩感覚。

でもよく役者さんも監督についていけたなあと思いきや、
プロの役者は一人だけ。
あとは素人で、さらにびっくりは、映画のロケをよく見に来ていた素人まで
使っている。しかもその女性の登場する場面は強烈で長尺だ。
もう、爆笑だ。

傑作に出会えるとほんと、テンションあがる。
自分も、なにか生み出したいというエネルギーをもらえる。
ホドロフスキー監督。
だいすき。

あ、ただし、正常者にはおすすめできない。

「さらば、聖なる山よ。現実の世界へ変えるんだ」

投稿者:ぴよさん 2015年04月08日


(ややネタバレあり)  『エル・トポ』がホドロフスキーの過去行をモチーフにしたとすれば
この『ホーリー・マウンテン』における彼の視点は、現在と未来へ向いている。時間軸はそう
だが、空間軸は歪められており、現世と「禅的な世界」を跳躍する。物語性は希釈され、
全ての要素は何らかの「象徴」として提示されている。

 第一章。“盗賊”はキリストの様に目覚め、“不完全な者”と旅を始める。彼らが見るものは
人々の愚行だ。人が欲望を加速させることで起こし続ける愚行の連鎖。それは文明の“陰”
の部分。全ての物事には“陰と陽”があるが、分割出来るものではない。たとえば民族の
虐殺、される側とする側、そして傍観する側とで、捉え方は当然違うのだ。
 様々な事象に翻弄される盗賊たち。何をどう考え、捉えるべきなのか。やがて辿り着いた
場所には、導師たる“錬金術師”が居た。

 短いスパンで表されるイメージは、全てが何かの象徴となっている。宗教的暗示だったり
文明や心のイメージだったり(ホドロフスキー自身によるコメンタリーに詳しい)
 第二章では人物を構築するイメージの連続となる。

 惑星に守護された七人の男女。彼らはそれぞれに、歪んだ所業を重ね「業」を背負う。
1000個の睾丸を切り落としてコレクションする警察署長や、躊躇なく殺人をおかせる兵士
を育てる玩具を作る女社長。イカレたように見える彼らは、全ての人間を象徴した存在だ。
 導師と共に、彼らは聖なる山、ホーリーマウンテンを目指す。そこには不死の聖者がおり
聖者のように完全なる解脱を果たす為には、到達しなければならない地なのだ。
 
 

 そしてクライマックスに放たれる、映画史上、最も問題のセリフと言える、あの…
「ズームバック○○○!」
茶番と罵られるのを承知でホドロフスキーは、このクライマックスを選んだ。おそろしく
綿密に積み上げてきたイメージの塔の根元を、自ら蹴り倒したのだ。(撮影中の事故が
キッカケで、この「現実的な」クライマックスを選んだと彼は言うが)

 凄まじいイメージの洪水に溺れてしまいたかったのに、足のつく浅瀬だと気づいてしまい
最後はすっかり服も乾いたままに立ち尽くす。だが身体にまとわりつく、言い様の無い
においだけは残っている…

そんな映画体験だろうか。






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