ルー・サロメ 善悪の彼岸<ノーカット版>のクチコミ・レビュー

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「ザロメ」というミューズ。「レクイエム」について。

投稿者:ちゅく 2015年12月04日

今日、リルケの「鎮魂歌」の1番を、黙読した。

10年ぶりに読みましたが、印象は、変わりませんでした。

やはり、彼の詩は、まだるっこい。信仰や、魂の核の周りをいつまでも周遊している。

「鎮魂歌」の第1番は、死んだ彼の女友の魂に捧げられたものだ。

自分は、この詩が好きである。
原詩で解読しようとしていた若い時もあった。
(それは、断念した。)

今、また、翻訳で、読んだ。

昔と同じ行にしか、思考は行かない。

この長い詩は、リルケの長い、廻りくどい独白である。

要約をすると、こうなる。

「私たちは死者を知っている」
「あなたは未だそこにいるのか」
「帰って来てはいけない。耐えられるならば、あなたは死者たちのもとに死んでいるがよい。死者たちは多忙だ。
 しかし 心を散らさないように私を救いたまえ。
 時には最も遠く隔てられたものが 私を助けるように 私の内部にあって。」
 (高橋英夫 訳)


死者は、すでに、どこかに行っている。
「鎮魂」は、失った人のことを嘆く生者のための作業である。
人は、大切な人・物・事を失うと、壊れやすい。
生者は、その危機を回避し、生に回帰する必要がある。
迷いは、生きているものにしか、ない。
死者は、静かで、安らかで、鳥や風、鉱物になっていると思うこと。それが、「鎮魂」。
「たましずめ」は、生者の作業だ。

日本の詩人は、はっきり書いた。

① 「百(もも)伝ふ 磐余(いわれ)の池に 鳴く鴨(かも)を 今日のみ見てや 雲隠(がく)りなむ」

② 「うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上(ふたかみ)山を 弟背(いろせ)とわが見む」

「万葉集」のこの二首。
①は、大津皇子の処刑前の、自らへの挽歌。
②は、大津皇子の異父妹であった大伯 (おおくの) 皇女(ひめ)の皇子への挽歌。
相聞のような挽歌である。

31音に凝縮されているというより、31音で表現する習練を重ねていたから、この挽歌が詠唱できたのだ。
 
リルケは、最初、甘い恋愛詩を書く詩人であったが、この映画の年上の女性にあうことによって、大人になる。

ルー・ザロメという女性が、非凡であろう。

彼女は、ニーチェも、リルケも、振る。自分よりも未熟と感じたから。

リルケは、彼女を思慕し、彼女ザロメが結婚しても、夫婦のあとを追って、ロシアに行く。

詩は、外側にあるものではなく、内部にあることは、どんな人でも知っている。
リルケは、自分が書く言葉、詩が、形象であらねばならいことを感じ、ロダンに向かう。

こういう道を、拓いたのは、このミューズであったのだろう。

ルー・ザロメを、ドミニク・サンダが演じているが……。

弱い、と思う。

ザロメは、もっと規模の「でかい」女性、性を越えた存在だったと思う。


退屈

投稿者:レビュアー名未入力 2009年05月27日

最後まで見ることができませんでした。

そんなニーチェのラブレター。

投稿者:ぴよさん 2008年11月01日


ルー・アンドレアス・サロメという不思議なスラブ女性が居た。ソ連の国家枢密顧問グスタフ・サロメ将軍の一人娘にして、ニーチェ、リルケ、フロイトなど稀代の天才達に影響を与えた、謎深き女性作家だ。

この作品では1880年代初頭、サロメが構想した同棲共学計画「聖三位一体」(冗談半分の命名だ)に吸い寄せられた、哲学者パウル・レーとフリードリヒ・ニーチェとの三角関係が描かれている。 文芸エロスというほど、エロくは無いと思うけれど。

先の勝王さん、ガラリーナさん、港のマリーさん(興味深いコメントの応酬!)のレビューに於いて、この作品の裏に在る姿までもがかなり語られており、今さら書くことは少ない。私が学んだ限りでは、サロメ中心に描かれた本作とは、ずいぶん話が違うように感じられた。(それはニーチェ側の意見であったからだろう)サロメの先進的な意識への、監督リリアーナ・カヴァー二の共感が、この様な解釈をさせたのだ。

人間関係に恵まれなかったニーチェを、自らを犠牲にしてまで支えてきたのは、妹エリーザベトだったはずだ。本作でサロメへの嫉妬に狂う、ただの神経症的な女性に描かれてしまっているのは、少し可哀相に思える。
ニーチェが狂気に倒れた後、彼女(エリーザベト)が強引に編纂した『力への意志』は、サロメがニーチェ研究によって「良識を逸脱したデカダンスな哲学者」のイメージを作り上げたことへの、抗議文とも言える。ただそれは恣意的で、ニーチェの思想を正しく表す物では無かった。その点は罪深い。

5人の兄の下、溺愛され育ったサロメの意識は「男性関係≒兄弟関係」だったフシがある。「男達の一人一人に、兄弟が隠れている」とはサロメの言だ。だからこそ、たいして深刻に考えず「メナージュ・ア・トロア(三人夫婦)」などと口に出来たのかもしれない。だが不幸な事に、ニーチェもパウル・レーも、愛に関してはとてもナイーブで、ある意味真面目な男達だった。ライプチヒの仲違いの後でニーチェが取った行動は、とてもツァラトゥストゥラたる者のする所業とは思えないし。パウル・レーの最後の行動もそうだ。だが、それこそが愛のなせる「負の業」なのだ。

レーとニーチェの関係が友情以上であったかどうか。ニーチェはこの直前、リヒャルト・ワーグナーとの友情に破れており、その事による強烈な孤独を、レーの存在が癒したのは事実だろう。それは精神的な同士関係であったし、それをはるかに超えるものだったかもしれない。
その頃、ニーチェがレーに出した手紙の一節…「君と一緒に生活したいという願望を、いまだかつて放棄したことはありません」「いつも私は心の中で、二人の未来を結び合わせています」 これを、ラブレターと読むか読まないか、さあどうだろうか。

劇中、三位一体の記念写真を撮る場面がある。実際にあの写真は現存していて(ジュール・ボネ撮影)真顔で馬車ウマを模している二人の哲学者と、ムチを持ったサロメの奇妙な姿が、哀愁を誘う。

これから記念写真を撮る時は、後々のことも十分に考えて撮ろうと、自戒。  あの時の写真…どこにやったっけ。 





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