私はあなたのニグロではないのクチコミ・レビュー

クチコミ・レビューFilmarks

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投稿者:lordanthony 2021年06月23日

語り口はわりと静かなんだけど、言葉自体には力がこもっているという印象。白人と黒人をいたずらに対立させたくない意図がボールドウィンの言葉からうかがえる。でも、現状を見ると人種差別のなくなる世界は果てしなく遠いようにも思える。

主題とはちょっと離れるかもしれないけど、「世の中を変えるのは国民なんだ」というようなメッセージが最後の方であって心に響いた。みんなが傍観者のような感じさえする日本は大丈夫かな、とか思ってしまった。

投稿者:すき 2021年06月22日

白人の有識者みたいな人が筆者の主張に対して「なんでそんなに肌の色にこだわるん?こだわる方が色々なものを見えなくさせてる」みたいな反論してて、あまりの無知さに唖然としたし、その肌の色にこだわってるのお前らじゃん、、、、!と怒りまくったな

差別受ける側が差別訴えてるのに特権側が透明化させてんのが既視感あって、人間は歴史から何も学ばねえのよなと思う

わたしも自分のあらゆる差別心みたいなものとちゃんと向き合わねば、こんな特権階級のクソ野郎みたいな人になってしまうから気をつけなければならないと心に決めた

投稿者:りんご 2021年06月15日

色んな感情が交錯した。怒り、悲しみ、疑問、驚き、あとは言葉では表せない感情。
今まで見てきたアメリカのTVや映画は絵空事で、アメリカの歴史、現実、伝えなければならない問題を暗闇に押し込んでいるようで、現実から目を背けて”綺麗なアメリカ”を切り取っているだけのように思えた。勇気を出して声を上げて社会を変えようと行動しても命を奪われて、結局社会の根本は変わらないのか。

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クチコミ・レビューTSUTAYA DISCAS

大切なことは見えないところに存在する

投稿者:趣味は洋画 2021年02月12日

私はあなたのニグロではない
(2016年、アメリカ・フランス・ベルギー・スイス / モノクロ及びカラー、93分)

1957年。アメリカ南部アーカンソー州リトルロック高校に、黒人として初めて入学する15歳の少女ドロシー・カウンツの姿があった。白人たちに取り囲まれ、嘲笑されながら登校する彼女は、黒人であることの誇りと緊張、そして苦痛の表情が入り混じっている...。

その事実を、ジェームズ・ボールドウィンはパリで執筆活動中に、パリ中で売られている新聞で知った。
ジェームズ・ボールドウィン(1924.08.02~1987.11.30 / 米・ニューヨーク州ハーレム生まれ)
彼はアメリカの黒人文学作家を代表する人物で、公民権運動家でもある。

上述の新聞報道に衝撃を受けたボールドウィンは、母国アメリカへ戻り、人種差別の最も激しい米国南部へ向かう。黒人が平和に暮らし、生きることの権利と自由を各地での講演で訴え、精力的に活動した。

この映画はボールドウィンの未完成原稿「Remember This House」を基にしたドキュメンタリーである。
冒頭、1968年のテレビ番組「ディック・キャヴェット・ショー」の映像が流れ、司会のキャヴェットが質問する。‘黒人の市長も生まれたし、スポーツ界や政界にも進出しているのに、なぜ黒人に希望がないのか’ ボールドウィンが答える ‘希望はない、一番の問題はこの国そのものだ’
番組の後半には、イエール大学のワイス教授が登場し、ボールドウィンに質問するが、その内容が平和ボケのチンプンカンプンの愚問である。ボールドウィンは真摯に熱く答えるが、議論が噛み合っていない。
問題(テーマ)の捉え方が根底から異なっており、意識の違い、根深さを感じた。

語られている印象的なコメントがあったので、思わず書き留めた。
‘テレビ業界はその性質上、必然的に、国民に延々と絵空事をばらまいている。娯楽という名の麻薬を与えているかのようだ。テレビを見るたびに、アメリカ人の有り様に背筋の凍る思いがする。皆、理想と現実の間で身動き出来ずにいる。理想の自分になりたければ、自分に問うことだ。この国で過ごす日々は、何故こんなにも空虚で退屈で醜いのかと、こういう番組を見て人々は安心する。そして、世界や自分に向き合う力を失っていくのだ’
テレビのお笑い番組が流れていた際に語られていたものだが、「アメリカ人」と「この国」を、「日本」に置き換えても十分通用するのではないか。

他人事ではない。
世界の様々な国に赴けば、日本人も差別されているという実感が身に染みることがある。
ポッシュさんがフランスでの体験談を語られているが、私も同様の経験がある。欧州ではフランスのそれが最も露骨だったが、英国、オランダ、ベルギーでも似たような体験をした。
外国で日本人に接する人々は概ね温かく迎えてくれる。表情はにこやかで、親切心も感じて心地よい。
それが建て前や仮面でないことを願うが、イデオロギーの見解に繋がると複雑だ。

閑話休題。
映画には、ジェームズ・ボールドウィンの友人であるマーティン・ルーサー・キング牧師、メドガー・エヴァース、マルコムXといった公民権運動家や黒人解放運動活動家が、当時のフィルムのなかで登場する。又、ハリウッドの大スター達が集まって、ボールドウィンの話に耳を傾けているシーンもある。
マーロン・ブランド、ハリー・ベラフォンテ、チャールトン・ヘストン、シドニー・ポワチエ、そしてジョゼフ・L・マンキーウィッツ氏らである。

映画から離れた彼らの素顔(表情)が見られるのに加え、アメリカの差別の歴史を垣間見るかの如く、多数の映画のワン・シーンが流れるのも興味深い。1920年代から2003年まで、その数20作品ばかり。ナレーションはサミュエル・L・ジャクソン。

映画は私たちに、さまざまな事を教えてくれる。
真実に辿りつけることもあるし、真実に迫ることもある。まったく近づけないこともある。
しかし、目に見えないところには、常に大切なことがある...そう感じさせられた映画だった。

「 悪魔が映画をつくった。 」

投稿者:ロキュータス 2020年07月29日

ロキュの69日連続レビュー Ⅲ  第51日
 
非常に知的で、心に訴えてくるドキュメンタリー。
ナレーションで、作家ジェームズ・ボールドウィンを演じるのはサミュエル・L・ジャクソン。

作品の構成の柱の一つとなる未公開の手記が「 Remember This House 」( 1979)。
夭折したメドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キングの3人についてを中心に、ボールドウィンも関わった1960年代の反黒人差別闘争を語り、それを通していまだに改善されない、今日の黒人の状況を問いかけています。

もう一つ柱となる著作が「 The Devil Finds Work 」(1976)。
邦題「 悪魔が映画をつくった 」 ハリウッドが作ってきた白人優位の映画をきびしく批判した映画評論集。 本作は映画論のドキュメンタリーでもあります。

ひとつの優れた見識ではありますが、僕は疑問も異論・反論もある立場です。 またくどくどと書きますが、その上でなお、みなさんには強力おススメの作品です。
近年の、特にジョージ・フロイド氏圧殺事件以降の、白人優位主義への批判の大きな流れを理解する上で、黒人作家のレジェンドの視点を知ること、そして当時の差別との闘いを知ることは重要です。
そして、まずは意見の違いを考えることは意義のあることと考えます。  ぜひごらんください。

( ネタばれあり )
僕がジェームズ・ボールドウィンのことを知ったのは、中学か高校くらいに、映画雑誌に載っていた彼の映画評論で、小説家と知ったのはその後でした。
その時厳しい批判の対象になっていたのは『 招かれざる客 』(1967)や『 手錠のままの脱獄 』(1958)で、その後何度か目にしましたし、本作でも語られました。

『 駅馬車 』(1939)のインディアンの描写への批判は、ボールドウィンだけでなく、西部劇批判の際もっともよく出される典型的な例です。
ボールドウィンは、自分はヒーローの白人側ではなく、有色人種としてインディアン側つまり「殺される側 」に属していると気づいた、だからヒーローを畏怖し、憎む、と言っています。

また、アメリカには2つの層がある。 ゲーリー・クーパーとドリス・ディが象徴的な、白人文化の甘く甘美な夢に希望を抱く層と、無視され過酷な現実を強いられ夢など抱けない層があると批判しています。 
実際、理由はいろいろあるにせよ自分の意志で「夢の新天地」に来た人々と、原住民のネイティブ・アメリカンや奴隷として強制的に連れて来られたアフリカ系とでは、アメリカから受けた扱いも、アメリカに対しての思いも、当然違ってくるのは避けられない。
その格差から来る世界観・文化( ここでは映画)観の違いの溝は深い。

 ( つづく )

黒人の歴史はアメリカの歴史。美しい物語ではない

投稿者:ポッシュ(休眠中) 2018年12月16日

黒人作家ジェームズ・ボールドウィンの未完の原稿を元に作られたドキュメンタリーです。

ボールドウィン自身の生い立ちや、彼が生きてきた時代を彩る映画作品などを紹介しながら、
政府やメディアによって黒人に対する無知・偏見が助長されてきた側面があるという、彼の見解が語られる。

また、抑圧される側は長年の抑圧によって現状を認識できなくなる、と演説会で語っている映像があって、
自分は行動心理学のある理論を思い出した。セーリックマンの犬の実験というもので、長くなるけど引用させてください。

中央に柵をした部屋の片方に犬を入れ、犬のいる側の床に電気を流す。犬は逃げ出そうとするが柵があるので
柵の向こう側には行けない。それを何度も繰り返した後に、柵を外して電流を流しても、犬はうずくまったまま動かない。
部屋の反対側の床には電気が流れていないのに、そちらに移動しようとはせず甘んじて電気刺激を受け続けるというのだ。
ワンちゃんに何するねん!というムゴい実験なのだけど、これが示唆するところは大きい。
この犬は「絶望」と「無気力」を学習してしまった・・・。
この知見は、黒人の置かれた状況を(全てとは言わないが)ある程度、説明し得るのではないか・・・。

ボールドウィンは3人の黒人運動家、メドガー・エバース、マルコムX、マーティン・ルーサー・キング牧師と交流があり、
彼らに関する思い出も描かれる。4人が登壇する討論番組が興味深い。過激な黒人解放運動のリーダーであるマルコムXは
「愚かな黒人牧師が、白人に虐げられても歯向かうなと教えている」とあからさまにキング牧師を糾弾!(ひえー)
それに対しキング牧師は「愛がひ弱だとは思わない。無抵抗ではなく暴力は使わないだけだ」と言う。
個人的にはキング牧師の姿勢に、打たれるものがありましたね・・・。

イントロダクションには「暗殺された公民権運動家たちの生き様を追いながら」とありますが、
3人の運動の全容が描かれる訳ではなく、あくまでもボールドウィンが接触した部分、彼らの“人となり”の
一部がプロフィール(横顔)として回想されるに過ぎない。
米国史としての黒人差別に関する事件などもサラッと映像が流れるだけで、時代を追って国全体の
意識の変遷があるのか無いのか、良く分からない。
まぁ、これは元ネタのボールドウィンの原稿が1970年代に書かれたものだから仕方ないのだけど、
映画自体は2000年代の事件や映画作品なども紹介していくので、その辺がチグハグな印象は受けた。

ボールドウィンは言う。「白人は自分たちの純潔を守りたいがために、黒人という役割を我々に押し付けたのだ」と。
社会の安定のために「沈め石」の存在が政治的に作り出される・・・というのは差別の構造としてある訳ですが、
正直、私自身は、差別の正体というものが良く分からない。
例えば、海外旅行先で「おや?」と違和感を覚えることはあったりする。
フランスの観光地で、我々ツアー客の横を、地元のフランス人の男が両手をこめかみに当ててツリ目を作って
大笑いしながら通り過ぎて行ったこと。
パリ郊外で、すれ違いざまにデタラメな中国語っぽい言葉を投げかけて嘲笑した若者がいたこと。
自分がアジア人であるという、その事だけでバカにされるって何なんだろうと考え込んでしまう。
一方で、国内の観光地で出くわす中国人観光客の喧しさに、つい顔をしかめてしまう自分もいる。
「心のありよう」はコントロールが難しいという気がしてしまう。

当時のテレビ番組が興味深い。
「時代は変わったんじゃないですか?黒人は様々な世界で活躍してる」と白人の番組ホストがボールドウィンに尋ねると、
彼は厳しい表情で「問題をすり替えている限り希望はない」と語る。
表情が曇る司会者。意識の違いがハッキリと現れている象徴的な場面だ。
白人の学者と討論するシーンもあるが、そこでも両者の意見は平行線を辿る。
差別する側とされる側の、この「意識の違い」はどうやっても埋められないのではないか?
という、ちょっと絶望的な思いにかられる。この番組から半世紀経った今、どれだけ状況は改善されているのだろう。

歴史が明らかにしているところだが、黒人の権利を主張した先述の3人の活動家は暗殺されてしまう。
盟友を次々と失ったボールドウィンの悲嘆にくれる述懐が辛い。
「黒人の歴史はアメリカの歴史。美しい物語ではない」と言い切る彼の言説は悲観的で辛辣だ。
(本人は「自分は悲観主義ではない」と言ってるのですがね・・・)

政治の問題ではなく国民一人ひとりの「意識」の問題なんだと訴えるボールドウィンの涙目を見ていると、
なんだかモゾモゾと居心地の悪さを覚えてしまうのでした。自分アメリカ人じゃないんだけどさ(苦笑)。

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