映画『ジョーのあした』阪本順治監督インタビュー:意図したわけではないが、一本の映画になった意味がある

阪本順治監督

阪本順治監督

『ジョーのあした ―辰吉丈一郎との20年―』が素晴らしい。

かつて、ボクサー・辰吉丈一郎を被写体に、ドキュメンタリーとドラマが豊かに交錯する、まばゆいばかりの異形の傑作『BOXER JOE』(1995)を撮った阪本順治監督は、それ以後も、辰吉にカメラを向けつづけた。辰吉が引退したら、1本にまとめよう。そう考えていたが、いつまでたっても辰吉は引退しない。彼の息子がプロボクサーデビューを果たしたいまも、辰吉は現役である。そうこうしているうちに、20年が経過していた。

「あくまでも、劇映画の監督が、ドキュメンタリーっぽいことをしているという感覚ですよ。劇ではないけど、カメラを向けたい人物がいた。試合を撮り、他の人のインタビューも入れて、練習風景も撮る。1本にまとめる上では、そんなことも考えた。ただ、僕はスケジュール的に劇映画を中心にやっている。だから、こういうことになった」

驚くべきことに、この映画は、ほぼすべて、監督の問いに、辰吉が答える映像で構成されている。言ってみれば、画面に映し出されるのは、喋っている辰吉の顔だけだ。関係者の証言やトレーニング風景を通して辰吉に迫る、というようなルーティンが完全に解体されている。だが、これこそが、ドキュメンタリー本来の在り方なのではないか。一見、傍流に思える方法論のなかから、ひょいと記録映画の王道が姿をあらわす、この凄み。

(C)日本映画投資合同会社

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「20年経って、最後のチャンスに、バタバタと練習風景撮りに行ってもしょうがないでしょ?(笑) あくまでも、劇映画の阪本が、興味のある人を、空いた時間に撮りに行く。(撮影開始した当初は)ドキュメンタリーを撮ろうなんて想いも希薄で。あとは、なるようになるやろ、ぐらいの気持ちですよ。一個決めたのは、4、5年で引退だろうから、それまで粘ろうと。ボクサーがいちばん変化あるのは体重だから、引退して一市民に戻って、食生活が変わり、ある種のストイックさを求めた生活から解放され、ぷくっと太った辰吉君を最後に撮って、それをエンディングにしよう。そこだけ決めた。ところが、4、5年どころか……(苦笑)。スポーツ選手のドキュメンタリーだから当然、試合とか動的なものも撮って、『平熱』のときの辰吉君とか、リング上の辰吉君とか、いろんな場面の辰吉君を組み合わせて一本作るんだろうなあと思っていた。その構成はゆくゆく考えればいいと。ところが撮ったものをラッシュで見たら、これは面白いなと。この面構えが映ってることで(観客の)気を惹くし。彼から出てくる言葉が、これは他のボクサーからは生まれないなという意表や新鮮さがあった。カメラを辰吉君から逸らす、ということができなくなってきた」

作品として、インタビューだけでいいのか。職業監督として、そんな自問と葛藤も確かにあった。だが、自分はドキュメンタリーにおいては「異業種監督なのだ」と開き直った。それが「ドキュメンタリーぽい」と自ら述べる所以だ。

(C)日本映画投資合同会社

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「ただ記録しつづける。その年月の長さで、別の魅力が生まれればいい。映画としての力が生まれればいい」

20年もの付き合いであるにもかかわらず、映画には馴れ合いが一切、映っていない。監督は質問し、辰吉は答える。その関係性が一貫してブレず、愚直なまでに継続されている。これが作品の品性につながっている。親密さを売りにしない。抑制ではなく、節度から、互いの信頼が伝わってくる様が感動的だ。

「この20年で映画業界はかなり変わった。そういう意味では僕自身、ブレまくりですよ。でも、辰吉君の家の近所に行って、公園でカメラを辰吉君に向けたときに、彼が変わらないから、俺はまた『初打席』に戻されるわけですよ。これが気持ちよかった。こっちの、ざわついた世界からポンと辰吉君の前、カメラの横に座ると、あの子が変わらないから、俺は20年前に戻されるんだよね、常に。それが気持ちよかった。意図して20年やってきたわけじゃないけど、これ、やってなかったら、俺はどうなっていたんだろう? 自主製作だったから、外から穢されようがない。自己責任だから。で、カメラが真ん中にあっての付き合いだったから。飲食も(一緒に)行くんですよ。でも、いつ終わるかわかんないけど、カメラが真ん中にある距離感は保たれてきた。それも気持ちよかった。真ん中にカメラが介在して、彼と向き合えた。それと、いつも、映画撮ったら、インタビュー受けるけど、クソみたいなインタビューばっかりで、と思ってた自分が(インタビューを)する側に回るっていうね(笑)。ある種の緊張感がありますよ。一筋縄じゃいかない、この人相手に、フィルムに限度がある中で、いいものが撮り切れるか。その賭けみたいなものに勝てるか。そういう緊張もあった。(ドキュメンタリーである以上)NGやリテイクはないんだから。そういう意味では僕にとっても新鮮な仕事だった」

(C)日本映画投資合同会社

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それは勝負事だっだと振り返る。そう、真剣な関係性は、誰にも、何にも、穢されない。

「(この質問は)怒るかな? と思っても、彼は冷静にかわすし。同じ質問しても1年前とは違うことを答えてくるし。カメラの前だからこそ出る本音もある」

辰吉の言葉は、ある種の詩である。というより、阪本の問いに答える辰吉のその姿そのものが、詩になっている。つまり、存在自体が詩。

「そういうもの、持ってますね。逆に言えば、饒舌なものもあるし。顔だけ、面構えだけでね。そういうものがあるから撮り始めたんですけどね」

辰吉という生きもののなかに内在する何か。私たち観客は、彼の相貌を見つめながら、それに吸引されていく。

「彼の平常は、すごくシンプルな練習なんですよ。ボクシングって、朝走って、(トレーニングの)メニューもすごい繰り返し。ということは考える時間はたくさんあるんですよ、24時間のなかで。そのときそのときの、自分に対する問いかけ。それは奥さんに相談するものでもない。彼はよく『もうひとりの自分』と言うんだけど、そこで会話をしてるんですよね。言葉で会話してるんですよ、(音声は)オンにしてないだけで。そうすると、何か蓄積されたものがあって。それが、聴いてほしいというより、彼のなかで(一度)決着を見ていて、引き出しの中に入ってるものがたくさんあるんですよね。『瞬発力で答えてるだけですよ』と言うけど、でも、ほんとに間がなく答えられるということは、既に答えはいっぱい用意されていて。もうひとりの自分との自問自答。その連続性ですよね。彼には疑問符がないんですよ。その都度、自分で解決してきたから。彼のバッグはパンパンで、何が入ってるかというと、国語辞典、ことわざ辞典、裁縫道具、そして小さいドライバー。辞典は、お父ちゃんの影響らしい。知らない言葉をほおっておけない。出会った頃、彼は19とか20歳だけど、試合のことを『自分の作品』と置き換えていた。彼は彼で『作品づくり』をしているという構えなんですよ。そういうボクサー、いないでしょ?」

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つまりは、創作者と創作者が、そこでは向き合っていた。

「どういう人なのか? 彼のことを伝えるのは難しいですよ。だからこそ、一本の映画になった意味があるんですけど。単純なものじゃないんです。ただ、編集してる途中に、ふっと『ああ、俺、この子、好きやったんや』と思った。撮ってるときは、距離とらなきゃと思ってたんだろうね。共有できるものじゃなくて、彼の人生と自分の人生の違い、いい意味で『溝』を感じる旅でした。カメラが介在しないようになると、冷静になって、あ、好きだったんだなって(照笑)」

ひとは、なぜ他者に興味を持ったり、好きになったりするのか。このドキュメンタリーには、そんな普遍的な問いにも対応できる懐深さがある。

(取材・文:相田冬二)


映画『ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年-』
シネ・リーブル梅田ほか大阪先行公開中
2月27日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次ロードショー

企画・監督:阪本順治
出演:辰吉丈一郎
ナレーション:豊川悦司
製作:日本映画投資合同会社
特別協力:日本映画専門チャンネル
特別協賛:J:COM
2016年/日本/82分/カラ―/DCP/1:1.85

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アーティスト情報

阪本順治

生年月日1958年10月1日(60歳)
星座てんびん座
出生地大阪府

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