『22年目の告白-私が殺人犯です-』入江悠監督インタビュー「1995年から地続きの時代を、僕らは生きている」

入江悠監督

入江悠監督

『22年目の告白-私が殺人犯です-』は、映画を体感する醍醐味に満ちた傑作だ。まず、何と言っても、見せ場が連続し、ぎっしり詰まったエンタテインメント性。そして、あるシーンからあるシーンに移行する際に刻まれる大胆な飛躍と省略、その痛快さ。さらには、一見どんでん返しに思わせながらも、しっかり地に足のついた人間ドラマとしての確かな説得力。そう、フィクションの「心技体」を兼ね備えた面白さが、ここにある。アクロバティックでありながら、映画メディアそのものへの敬意にあふれた演出を見せた入江悠監督に、その狙いを訊いた。

「まず、どんでん返しがプロットの肝としてありました。ただ、僕自身は殺人犯の内面に興味があったんです。あとは1995年という時代ですかね。そこは個人的に掘り下げたいなと。もちろん、物語的な面白さは、原作となった映画『殺人の告白』を踏襲しているんですけど、後半はガラッと変えてて。(殺人犯の内面に)フォーカスしようと思ったんですよね。それぞれ心に傷を持ってる人たちの話なので。その傷ってどういうことなんだろう? ダイレクトに伝わるというよりも、何か匂うといいなと思ってました」

映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』

(C)2017 映画「22 年目の告白-私が殺人犯です-」製作委員会

1995年に起きた5件の連続殺人事件。迷宮入りしていた事件の殺人犯・曾根崎雅人が告白本『私が殺人犯です』を発売する。その告白本は一大ベストセラーになり、彼は時代の寵児となる。22年前、事件に巻き込まれ、被害者でもある牧村刑事、そして、この事件の取材でジャーナリストとして活動を開始したTVキャスター仙堂。ふたりの男の執念の追跡も含め、事件のあまりにも意外な真相が解き明かされていく。1995年から幕を明ける映画には、とにかく噛みごたえがある。

「物語的な飛躍、つまり、何かを飛び越えないといけない瞬間があって、そこは勢いで押し切っています。はやく殺人犯の内面に踏み込みたいということもあって、飛躍の背景みたいな部分にはあえて立ち止まってはいません。1995年のことも、物事が一瞬で忘れ去られる現代のSNS的なテンションで描いています。過去の部分はあえてぎゅっと凝縮させています」

だからこそのスピード感。巧みなドライビングテクニックで、難路を走行していくような快感がある。

「僕は、映画が何かを飛躍する瞬間が好きで。昔のプログラムピクチャーとかもそうなんですけど、だいたい(上映時間)90分以内に収まるじゃないですか。あれって、省略が上手いんですよね。そういうのを観ているとグッとくるんで。自分が客のとき、回想の入り方がかっこ悪いとすごくイヤなんです。回想になったきり、なかなか現代に還ってこないのって、ダサいなと」

映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』

(C)2017 映画「22 年目の告白-私が殺人犯です-」製作委員会

1995年と、2017年。22年の時差を超えて、映画は過去と現代を行き来する。それは、虚構のメディアだからこそ成立していることでもある。映画の本質と効能を入江監督がしっかり把握しているからこそ可能になったテクニックが本作にはある。

たとえば、この映画は、大胆不敵にも途中でスクリーンサイズを変える。詳しくは述べないが、それは単なる目くらましではなく、必然性のある試みだ。

「メディアがテーマのひとつでもあったからです」

事件というものをめぐる大衆の好奇心。それを反映したマスメディアの在り方。報道というものが孕む、正義の仮面をかぶった下世話感。それら全部ひっくるめたメディア論や社会論すら、映画は考えさせてくれる。

「たとえば横に長いシネスコ(シネマスコープ)サイズだと現代的な空虚感が出るし、逆に正方形に近いスタンダードサイズだと人間関係が密に感じられる。時代を行き来する映画だからこそできたことです。昔の意欲的な映画は、節操なくスプリットスクリーン(分割画面)とかしていましたよね。でも、お客さんって、そういう大胆なことをしても、意外とついてきてくれると思うんですよ。いま、映画がどこか保守的になっているけど、お客さんは「入り込んでくれるんだ」という信頼があるんです」

映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』

(C)2017 映画「22 年目の告白-私が殺人犯です-」製作委員会

この映画を特別なものにしている要素はいくつもあるが、1995年からスタートしていることはその中でも大きなトピックだ。1979年生まれの入江監督にとって、1995年というモチーフはどのような意味があったのだろう。

「自分にとっても、日本にとっても、大きな一年だと思い、この年にしました。日本社会にとって、ひとつのターニングポイントだったなと」

この年、神戸では大きな地震が起き、オウム真理教は地下鉄にサリンを撒き、無差別テロを行った。日本全体が疑心暗鬼に駆られ、明日=未来を夢見ることが困難になった。そんな世相、時代心理が、映画のバックグラウンドには敷き詰められている。

「自分のことに照らし合わせると、あのときから自分自身、あまり大きく変わった印象がないんです。1995年に抱いた社会や未来に対する不安は、ずっと(自分の中に)持ってるなと。それが反映されているんですよね」

映画『22年目の告白-私が殺人犯です-』

(C)2017 映画「22 年目の告白-私が殺人犯です-」製作委員会

21世紀になったいまも、「1995年以後」を生きている感覚があるという。

「僕らの世代は、(日本の)バブルのいい時期を、社会人としては知らない。1995年のオウムの事件も一応捜査は終わりましたが、根底のところで何か解決したのかと言えばよくわからなかったし、阪神淡路大震災のことも、2011年に自分の近いところで(3.11)地震が起きてようやくわかるというか。結局、あそこ(1995年)からスタートしてる感じがするんですよね。自分と社会との関わり方が。ずっと、地続きな感じですよね。殺人犯も、刑事も、ジャーナリストも、その地続き感においては、自分の実感とはズレていないと思い、それを頼りに描こうと思いました」

つまり、わたしたちは、あれからずっと解決できないものを抱えている。その大きなわだかまりに包囲されているのだ。

「そこを何とか決着つけようとする話なんですよね。僕には、この登場人物たちほど大きな事件はありません。でも、何か解決できないものはあるし、そこは託せるなと。そこは、映画の後味にも影響していると思います。根本的な解決って何だろう? 人はそれを抱えて生きていくのだと思います」

毎回の作品に、そうした想いは反映されているという。

「映画を作ることが、僕にとっては、その答えを見つける作業なのかもしれません。そして提示をすることで、何らかの解消にはなる。ただ考えてると、もやもやと迷路をさまよっているだけですから(笑)。真犯人の、あの孤独って何だろう? 僕自身も、あの孤独は他人事ではないんです」

(取材・文:相田冬二)


『22年目の告白―私が殺人犯です―』
全国公開中

監督:入江悠
脚本:平田研也、入江悠
出演:藤原竜也、伊藤英明、夏帆、野村周平、石橋杏奈、竜星涼、早乙女太一、平田満、岩松了、岩城滉一、仲村トオル
原作:「私が殺人犯です」
配給:ワーナー・ブラザース映画

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