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【考察レビュー】「自分は大丈夫」という空虚な線引きに身震いした、映画『哀愁しんでれら』

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

「女性がいると会議が長くなる」

こんなトンデモ発言を公の場で堂々とする政治家に、落胆するとともに「将来自分はああはなりたくない」と思っていたし、「自分はああいった価値観を持ち合わせていないから大丈夫」と安心していた。

しかし、映画『哀愁しんでれら』を鑑賞したあと、「自分は大丈夫」という主観的な線引きの空虚さに気づかされた。誰しもが「大丈夫」の向こう側へと、容易に踏み込む危険性をはらんでいるし、もしくは、すでに踏み越えているのかも知れないと感じるのだ。

2021年2月5日(金)より、全国公開となった土屋太鳳、田中圭共演『哀愁しんでれら』。本作は、「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM FILM 2016」でグランプリを獲得した企画として、『嘘を愛する女』、『ルームロンダリング』、『ブルーアワーにぶっ飛ばす』、『ゴーストマスター』、『水上のフライト』に次ぐ、劇場公開6作品目となる。

アップテンポの「急降下」と「急上昇」、そして残された不穏「不穏」

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

児童相談所職員の小春(土屋太鳳)が、ひょんな出会いで「白馬にのった王子様」ならぬ「外車に乗ったお医者様」大悟(田中圭)と、その愛娘・ヒカリ(COCO)に出会い一気に「シアワセ」の階段を駆け上がっていく物語だ。

冒頭から主人公の小春に様々な不幸が降りかかる。仕事の不調からはじまり、家計は火の車、祖父の病気に、家の火事。さらには、彼氏の浮気まで…。ひっちゃかめっちゃかに展開していく不幸の連続は、そのテンポの良さも相まって、どこかコミカルで軽やかですらある。

そして、第2幕。絶望の淵にいた小春は、踏切で酔いつぶれた大悟の命を助けることで状況が一変する。経済的な余裕に、優秀な学歴と、かわいらし愛娘。さらに、大悟は妹の家庭教師を買って出たと思えば、父親の再就職先から、祖父の病院の手配まで面倒を見てくれる。まさにトントン拍子のシンデレラストーリーを難なく通り過ぎ、ふたりはゴールイン。婚姻届けを提出した3人のダンスシーンには爽快感とカタルシスが溢れていた(一方、役所の受付が低テンションなのは、その後の「シアワセ」を暗示しているようでシニカルだ)。

しかし物語が第3幕へと突入すると、雰囲気もペースも一変する。丁寧すぎた家庭教師、大きすぎた豪邸、空っぽになった弁当箱。第2幕で見過ごされていた不穏さが噴出しはじめる。そして愛娘・ヒカリに翻弄されながら、「シアワセ」のメッキは次々と剥がれ落ち、金切り声と罵声にまみれながら、狂気の渦中で3人はピュアでおぞましいラストシーンにたどり着いてしまうのだ。

微笑に秘められた暴力性、“間違いない子”しか愛せなくなった母親

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

その衝撃的な結末についてはSNS上でも賛否両論が巻き起こっている。

確かに荒唐無稽な展開にも見えるが、私には寓話的なメタファーとして、家族3人のメタモルフォーゼの完成形にみえた。

もともと小春は、幼少期に体験した母親の家出により「母親に見捨てられた」トラウマを抱えている。映画冒頭の児童相談所職員として、ネグレクト気味の母親に対して過度な行為に至るシーンからも、小春にとって「母親=子供に愛情を注ぐ存在であるべき」という理想像が強化されていることがわかる。

しかし冒頭、劇中のテレビで報道される過保護なモンスターペアレントを一蹴するなど、小春の「母親の理想像」にはある程度の限度があった。そこに拍車をかけたのが大悟の「母親の理想像」だった。

大悟は過去に学校でいじめられていたことで母親と口論になり、殴られて耳鳴りの後遺症が残っている。その経験は、母親への失望感を生み出すと同時に、「子どもの将来は母の努力によって決まる。」というナポレオンの言葉を引用した哲学を信念としていた。一見すると、小春が抱く強化された「母親の理想像」にも通じる部分がある。しかし、裏を返せば、子供の面倒を母親に一任させ、父親はその責任から逃避する言い訳としても作用しており、より小春を追い詰めていく結果となる。

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

(C)2021『哀愁しんでれら』製作委員会

そして、小春と大悟は、強烈な「母親の理想像」を持ち合わせながら、愛娘・ヒカリに接していく。自分の過去を投影するように、「与えてもらえなかった愛が与えられる存在」、「どこまでも尽くしてもらえる存在」、「邪魔者から守ってもらえる存在」としてヒカリを育てていく。それは「母親の理想像」に育てられた子どもは「娘の理想像」として “いい子”でなければならないという盲信にもつながっていく。ヒカリの言を疑う事は、肥大化した「母親の理想像」を破壊する行為であり、また過去の自分を裏切る行為でもあるのだ。

一度はその重圧から家を飛び出した小春は、公園のブランコでネグレクト気味の母親と再会する。お酒を片手に、気だるそうに娘の背中を押す母親を押しのけ、「お手本を見せてあげる」と力いっぱい背中を押し、その娘は怖さのあまり泣き出してしまう。もう、小春にはどんな力加減で子どもに愛情を注げばいいのかわからずタガが外れた状態となっていた。そこに娘の、そして自分自身の「母親」を失った大悟が優しく小春を迎えにくる。ふたりはもとの豪邸へ戻り、ヒカリと一緒に「家族の理想像」を完成させるイニシエーションを行うのだ。

そして3人が生み出したラストシーン。

邪魔者を排除し、家族3人は教室で算数の授業を始める。小春は教壇に立ち、ヒカリに問題を提示し、正解したら褒める。わかる問題だけを正解させていき優しく微笑む小春と大悟は、裏を返せば、決して“間違いない子(=正しい子)”であるヒカリしか愛せなくなってしまっている。教室という教育現場を舞台に、家族だけの閉鎖的な空間を生み出し、「理想の娘像」を独断的に押し付けるこのラストシーンには、ショッキングな廊下や階段のカットに並ぶほどの強烈な暴力性がにじみ出ていた。

「自分は大丈夫」が一番危ない

小春が理想としていた母親像や家族像は、大悟の価値観と混ざり合う事で、よりおどろおどろしいショッキングな色味へと変化していく。本作では、そのグラデーションを鮮やかに描くことで、到底倫理的には賛同できない結末に、一つの説得力を与えているのだ。

「どんな狂気も、自分と地続きの関係性にある」

「正常と異常」、「常軌と狂気」は、立場は真逆であっても、地続きに存在し、その境界線は曖昧だ。だからこそ「自分は大丈夫」という主観的な盲信が一番危ないことに気づかされる。ふと自分の行動や発言を思い返してみると 、実は“向こう側“に向かって歩き出しているかも知れないし、むしろすでに”向こう側“にいるのかもしれない。

だからこそ映画館を後にした時、「果たして、私はどちら側にいるのだろうか?」と足元が揺らぐような感覚に襲われ、思わず身震いした。


哀愁しんでれら

2021年2月5日(金)より劇場公開中

『哀愁しんでれら』

なぜこの真面目な女性は、社会を震撼させる凶悪事件を起こしたのか。幸せ? 不幸せ? 価値観が乱高下する! 禁断の“裏”おとぎ話サスペンス開幕。 

『哀愁しんでれら』の特設サイトはこちら

nony

【Editor】nony

ゆとり万歳な93年生まれ。 元ニュースサイト編集部・映画記事担当のち、現在は広報業務へ。

趣味は映画みたり、イラスト書いたり、ライティングしたり、クラウン(道化師)したり、コーポリアルマイム(フィジカルアート)したり、とやりたい放題。

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